1971年の読売ジャイアンツ
1971年の読売ジャイアンツでは、1971年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。
1971年の読売ジャイアンツ | |
---|---|
成績 | |
日本一 | |
日本S | 4勝1敗(対阪急)[1] |
セントラル・リーグ優勝 | |
70勝52敗8分 勝率.574[2] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都文京区 |
球場 | 後楽園球場 |
球団組織 | |
オーナー | 正力亨 |
経営母体 | 読売新聞社 |
監督 | 川上哲治 |
« 1970 1972 » |
概要
編集前年6連覇を達成し、7連覇への期待がかかる巨人は開幕後の4月には12連勝を記録して開幕ダッシュに成功すると前半戦は2位のヤクルトに11.5ゲーム差をつけた。しかし7月以降は勝ち星が伸び悩み、8月は10勝13敗、終盤は9勝9敗と後半戦は平凡な成績に終わった。それでも中日、阪神、大洋といったライバル球団を寄せ付けず最後は7連覇を達成。チームは最下位のヤクルトに16勝10敗と勝ち越したが、大洋には12勝11敗3分、阪神には12勝10敗4分と若干苦戦し、特に大洋には7月まで10勝4敗3分と勝ち越したものの、8月以降わずか2勝に終わった。投手陣では二枚看板の高橋一三と堀内恒夫が14勝をあげ、4年目で一軍ローテ入りした関本四十四が10勝をあげたもののそれ以外の投手が成績を落とした。打撃陣では王貞治が本塁打王・打点王の2冠、長嶋茂雄が首位打者を獲得したものの王は打率が3割を切り、日本シリーズでの活躍を不安視されたが、チーム本塁打123本はリーグ2位で、149盗塁もリーグ1位を記録。日本シリーズは1勝1敗で迎えた第3戦、9回裏に王が阪急・山田久志から放った逆転サヨナラ3ランはそれまでの「阪急有利」の流れを変えるものだった。結局第4戦以降も巨人がモノにして、最後は前人未到の日本シリーズ7連覇を達成した。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 中 | 柴田勲 |
---|---|---|
2 | 左 | 高田繁 |
3 | 一 | 王貞治 |
4 | 三 | 長嶋茂雄 |
5 | 遊 | 黒江透修 |
6 | 右 | 末次民夫 |
7 | 捕 | 吉田孝司 |
8 | 投 | 渡辺秀武 |
9 | 二 | 土井正三 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 大洋 | 4.5 | 広島 | 4.5 | 広島 | 8.0 | ヤクルト | 10.0 | 大洋 | 10.0 | 中日 | 6.5 |
3位 | 阪神 | 6.0 | 大洋 | 7.5 | ヤクルト | 9.0 | 中日 | 12.0 | 広島 | 10.5 | 大洋 | 8.0 |
4位 | ヤクルト | 6.0 | ヤクルト | 9.5 | 中日 | 10.0 | 広島 | 12.5 | 中日 | 10.5 | 広島 | 8.0 |
5位 | 中日 | 6.5 | 中日 | 10.0 | 阪神 | 11.5 | 大洋 | 14.0 | 阪神 | 11.0 | 阪神 | 12.5 |
6位 | 広島 | 7.0 | 阪神 | 10.5 | 大洋 | 12.5 | 阪神 | 14.5 | ヤクルト | 12.0 | ヤクルト | 19.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 70 | 52 | 8 | .574 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 65 | 60 | 5 | .520 | 6.5 |
3位 | 大洋ホエールズ | 61 | 59 | 10 | .5083 | 8.0 |
4位 | 広島東洋カープ | 63 | 61 | 6 | .5081 | 8.0 |
5位 | 阪神タイガース | 57 | 64 | 9 | .471 | 12.5 |
6位 | ヤクルトアトムズ | 52 | 72 | 6 | .419 | 19.0 |
日本シリーズ
編集日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月12日(火) | 第1戦 | 読売ジャイアンツ | 2 - 1 | 阪急ブレーブス | 阪急西宮球場 |
10月13日(水) | 第2戦 | 読売ジャイアンツ | 6 - 8 | 阪急ブレーブス | |
10月14日(木) | 移動日 | ||||
10月15日(金) | 第3戦 | 阪急ブレーブス | 1 - 3 | 読売ジャイアンツ | 後楽園球場 |
10月16日(土) | 第4戦 | 阪急ブレーブス | 4 - 7 | 読売ジャイアンツ | |
10月17日(日) | 第5戦 | 阪急ブレーブス | 1 - 6 | 読売ジャイアンツ | |
優勝:読売ジャイアンツ(7年連続15回目) |
オールスターゲーム1971
編集→詳細は「1971年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 選出選手及びスタッフ
ポジション | 名前 | 選出回数 |
---|---|---|
監督 | 川上哲治 | |
投手 | 堀内恒夫 | 5 |
高橋一三 | 3 | |
渡辺秀武 | 2 | |
一塁手 | 王貞治 | 12 |
三塁手 | 長嶋茂雄 | 14 |
遊撃手 | 黒江透修 | 4 |
外野手 | 高田繁 | 4 |
柴田勲 | 8 |
- 太字はファン投票による選出。
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集- 最優秀選手:長嶋茂雄(3年ぶり5度目)
- 新人王:関本四十四
- 首位打者:長嶋茂雄(.320、5年ぶり6度目)
- 本塁打王:王貞治(39本、10年連続10度目)
- 打点王:王貞治(101打点、4年ぶり6度目)
- 盗塁王:高田繁(38盗塁、初受賞)
- 最多出塁数:王貞治(246個、5年連続5度目)
- ベストナイン:
- 王貞治(一塁手、10年連続10度目)
- 長嶋茂雄(三塁手、14年連続14度目)
- 柴田勲(外野手、4年ぶり2度目)
- 高田繁(外野手、3年連続3度目)
ドラフト
編集→詳細は「1971年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
---|---|---|---|---|
1位 | 横山忠夫 | 投手 | 立教大学 | 入団 |
2位 | 谷山高明 | 投手 | 愛媛相互銀行 | 入団 |
3位 | 庄司智久 | 内野手 | 新宮高 | 入団 |
4位 | 尾形正巳 | 内野手 | 兵庫・山崎高 | 拒否・新日本製鐵広畑入社 |
5位 | 山本昌樹 | 投手 | 鳥取西高 | 拒否・松下電器入社 |
6位 | 小林繁 | 投手 | 神戸大丸 | 翌年シーズン後に入団 |
7位 | 玉井信博 | 投手 | 東洋大学 | 翌年シーズン後に入団 |
8位 | 板東陽司 | 外野手 | 鴨島商業高 | 入団 |
出典
編集- ^ a b “1971年度日本シリーズ”. 日本野球機構. 2015年10月22日閲覧。
- ^ a b “年度別成績 1971年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2015年10月22日閲覧。
- ^ 『読売新聞』1971年4月11日付朝刊、14版、11面
- ^ “読売巨人軍公式HP 背番号変遷”. 読売ジャイアンツ. 2015年10月14日閲覧。