1970年オーストリアグランプリ
1970年オーストリアグランプリ (1970 Austrian Grand Prix) は、1970年のF1世界選手権第9戦として、1970年8月16日にエステルライヒリンクで開催された[1]。
レース詳細 | |||
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1970年F1世界選手権全13戦の第9戦 | |||
エステルライヒリンク (1969-1976) | |||
日程 | 1970年8月16日 | ||
正式名称 | VIII Großer Preis von Österreich[1] | ||
開催地 |
エステルライヒリンク オーストリア シュタイアーマルク州 シュピールベルク | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 5.911 km (3.673 mi) | ||
レース距離 | 60周 354.66 km (220.38 mi) | ||
決勝日天候 | 曇(ドライ)[2] | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | ロータス-フォード | ||
タイム | 1:39.23 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | クレイ・レガツォーニ (40[3]周目) | フェラーリ | |
ジャッキー・イクス (51[3]周目) | フェラーリ | ||
タイム | 1:40.40[3] | ||
決勝順位 | |||
優勝 | フェラーリ | ||
2位 | フェラーリ | ||
3位 | ブラバム-フォード |
レースは60周で行われ、フェラーリのジャッキー・イクスが3番手スタートから優勝した。チームメイトのクレイ・レガツォーニが2位で初の表彰台を獲得し、ブラバムのロルフ・シュトメレンが3位で唯一の表彰台を獲得した。ドライバーズランキング首位で母国グランプリを迎えたロータスのヨッヘン・リントはポールポジションを獲得したが、エンジントラブルでリタイアに終わった。
背景
編集F1世界選手権レースとして開催されるオーストリアGPはツェルトベク飛行場で行われた1964年以来2回目[注 1]である。ツェルトベク飛行場でのF1レースから6年が経つ間、同飛行場のすぐ北にエステルライヒリンクが建設された。風光明媚なこのコースは、一連の高速コーナーや起伏の激しさが特徴であった[4]。
エントリー
編集フェラーリは3台の312Bを走らせることを決め、これまで2台目をシェアしていたクレイ・レガツォーニとイグナツィオ・ギュンティがともに走ることになった。ウィリアムズはブライアン・レッドマンがスポーツカーレースに参加するため[4]、新人ティム・シェンケンを起用した[5]。ロブ・ウォーカーはコーリン・チャップマンにロータス・72を注文したが準備が間に合わず、グラハム・ヒルは欠場した。コーリン・クラッベ・レーシングはエンジンを使い果たしたため[注 2]、ロニー・ピーターソンも欠場した[6]。
エントリーリスト
編集- 追記
予選
編集土曜日は雨に見舞われたため、金曜日のタイムにより予選順位が確定し、既に地元オーストリアの英雄となっていたヨッヘン・リントがポールポジションを獲得した。しかしその一方で、チームメイトのジョン・マイルズがブレーキシリンダーの故障に悩まされ、ロータス・72の信頼性に疑問を投げかけた。リントのライバルとなっていたフェラーリ勢が好調で[6]、頭角を現してきたクレイ・レガツォーニが2番手となり、リントとフロントローに並んだ。ジャッキー・イクスは3番手でジャッキー・スチュワートと2列目、イグナツィオ・ギュンティは5番手でクリス・エイモンと3列目に並んだ[4]。
予選結果
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
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1 | 6 | ヨッヘン・リント | ロータス-フォード | 1:39.23 | - | 1 |
2 | 27 | クレイ・レガツォーニ | フェラーリ | 1:39.70 | +0.47 | 2 |
3 | 12 | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 1:39.86 | +0.63 | 3 |
4 | 1 | ジャッキー・スチュワート | マーチ-フォード | 1:40.15 | +0.92 | 4 |
5 | 14 | イグナツィオ・ギュンティ | フェラーリ | 1:40.21 | +0.98 | 5 |
6 | 4 | クリス・エイモン | マーチ-フォード | 1:40.60 | +1.37 | 6 |
7 | 19 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ | 1:40.81 | +1.58 | 7 |
8 | 10 | ジャック・ブラバム | ブラバム-フォード | 1:40.81 | +1.58 | 8 |
9 | 2 | フランソワ・セベール | マーチ-フォード | 1:40.89 | +1.66 | 9 |
10 | 7 | ジョン・マイルズ | ロータス-フォード | 1:41.46 | +2.23 | 10 |
11 | 21 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 1:41.49 | +2.26 | 11 |
12 | 15 | ジョン・サーティース | サーティース-フォード | 1:41.49 | +2.26 | 12 |
13 | 20 | アンリ・ペスカロロ | マトラ | 1:41.70 | +2.47 | 13 |
14 | 16 | ジャッキー・オリバー | BRM | 1:41.73 | +2.50 | 14 |
15 | 22 | アンドレア・デ・アダミッチ | マクラーレン-アルファロメオ | 1:41.82 | +2.59 | 15 |
16 | 8 | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス-フォード | 1:41.86 | +2.63 | 16 |
17 | 11 | ロルフ・シュトメレン | ブラバム-フォード | 1:42.09 | +2.86 | 17 |
18 | 5 | マリオ・アンドレッティ | マーチ-フォード | 1:42.28 | +3.05 | 18 |
19 | 26 | ティム・シェンケン | デ・トマソ-フォード | 1:42.41 | +3.18 | 19 |
20 | 3 | ジョー・シフェール | マーチ-フォード | 1:42.56 | +3.33 | 20 |
21 | 23 | ピーター・ゲシン | マクラーレン-フォード | 1:42.79 | +3.56 | 21 |
22 | 17 | ペドロ・ロドリゲス | BRM | 1:43.19 | +3.96 | 22 |
23 | 18 | ジョージ・イートン | BRM | 1:45.00 | +5.77 | 23 |
24 | 24 | シルビオ・モーザー | ベラシ-フォード | 1:45.64 | +6.41 | 24 |
決勝
編集日曜日は10万人の大観衆が詰めかけた。観客のほとんどは地元の英雄ヨッヘン・リントの優勝を期待したが[6]、彼らは失望することになった[4]。
スタートでクレイ・レガツォーニが首位に立ち、ジャッキー・イクスもリントを抜いてフェラーリが1-2体制を築いた。リントはフェラーリ2台を追ったが、エンジントラブルで早々とリタイアした[11]。2周目にレガツォーニはイクスを前に行かせ、以後はフェラーリ2台がレースを支配した。ジャン=ピエール・ベルトワーズはフェラーリ2台に続く3位を長く走行していたが、レース終盤に燃料ピックアップの問題に苦しみ、ロルフ・シュトメレンとBRMの2台(ペドロ・ロドリゲス、ジャッキー・オリバー)に抜かれて6位に終わった。イクスとレガツォーニは3位のシュトメレンに1分半の差を付け[4]、イクスは今季初勝利を挙げ、フェラーリは1-2フィニッシュを達成した。レガツォーニとシュトメレンは初(シュトメレンにとっては唯一)の表彰台を獲得した[6]。フェラーリの残る1台を駆るイグナツィオ・ギュンティはレース序盤に4位を走行していたが、ファイアストンタイヤの前輪のトレッド部分が持ち上がってしまったため交換しなければならず、大きく後退して7位に終わった[11]。フェラーリ、BRM、マトラの12気筒勢は全車が完走し、上位7台中6台を占めた。それまでフォード・コスワース・DFVエンジンの前に敗走していた12気筒勢の復調を印象づけたレースとなった[12]。
ドライバーズチャンピオン争いは首位のリントがリタイアしたが、2位のジャック・ブラバムも無得点に終わったため、両者の差は20点のままであった。3位のデニス・ハルムはブラバムと5点差、優勝したイクスはジャッキー・スチュワートに並ぶ19点で4位に浮上した。コンストラクターズチャンピオン争いはロータスが首位をキープした。ブラバムはシュトメレンが表彰台を獲得して33点とし、2位のマーチとポイントで並んだ。レースを制したフェラーリは、4位のマクラーレンとの差を大きく縮めた[6]。
レース結果
編集順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 12 | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 60 | 1:42:17.32 | 3 | 9 |
2 | 27 | クレイ・レガツォーニ | フェラーリ | 60 | +0.61 | 2 | 6 |
3 | 11 | ロルフ・シュトメレン | ブラバム-フォード | 60 | +1:27.88 | 17 | 4 |
4 | 17 | ペドロ・ロドリゲス | BRM | 59 | +1 Lap | 22 | 3 |
5 | 16 | ジャッキー・オリバー | BRM | 59 | +1 Lap | 14 | 2 |
6 | 19 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ | 59 | +1 Lap | 7 | 1 |
7 | 14 | イグナツィオ・ギュンティ | フェラーリ | 59 | +1 Lap | 5 | |
8 | 4 | クリス・エイモン | マーチ-フォード | 59 | +1 Lap | 6 | |
9 | 3 | ジョー・シフェール | マーチ-フォード | 59 | +1 Lap | 20 | |
10 | 23 | ピーター・ゲシン | マクラーレン-フォード | 59 | +1 Lap | 21 | |
11 | 18 | ジョージ・イートン | BRM | 58 | +2 Laps | 23 | |
12 | 22 | アンドレア・デ・アダミッチ | マクラーレン-アルファロメオ | 57 | +3 Laps | 15 | |
13 | 10 | ジャック・ブラバム | ブラバム-フォード | 56 | +4 Laps | 8 | |
14 | 20 | アンリ・ペスカロロ | マトラ | 56 | +4 Laps | 13 | |
15 | 8 | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス-フォード | 55 | +5 Laps | 16 | |
Ret | 21 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 30 | エンジン | 11 | |
Ret | 15 | ジョン・サーティース | サーティース-フォード | 27 | エンジン | 12 | |
Ret | 26 | ティム・シェンケン | デ・トマソ-フォード | 25 | エンジン | 19 | |
Ret | 6 | ヨッヘン・リント | ロータス-フォード | 21 | エンジン | 1 | |
Ret | 5 | マリオ・アンドレッティ | マーチ-フォード | 13 | アクシデント | 18 | |
Ret | 24 | シルビオ・モーザー | ベラシ-フォード | 13 | ラジエーター | 24 | |
Ret | 1 | ジャッキー・スチュワート | マーチ-フォード | 7 | 燃料パイプ | 4 | |
Ret | 7 | ジョン・マイルズ | ロータス-フォード | 4 | ブレーキ | 10 | |
Ret | 2 | フランソワ・セベール | マーチ-フォード | 0 | エンジン | 9 | |
ソース:[13]
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- クレイ・レガツォーニ - 1:40.40(40周目)
- ジャッキー・イクス - 1:40.40(51周目)
- クレイ・レガツォーニ - 1周 (Lap 1)
- ジャッキー・イクス - 59周 (Lap 2-60)
第9戦終了時点のランキング
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- 注: トップ5のみ表示。前半7戦のうちベスト6戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。
脚注
編集注釈
編集- ^ 1963年の非選手権レースを含むと3回目で、スポーツカーレースとして開催された年を含むと8回目。
- ^ この年、フォード・コスワース・DFVエンジンはクランクシャフトの品質不良やエンジントラブルの多発により、慢性的な不足状態を招いていた。 (ダグ・ナイ 1989, p. 212),(林信次 1995, p. 107)
出典
編集- ^ a b c 1970 Austrian Grand Prix Entry list. Racing Sports Cars 2020年1月6日閲覧。.
- ^ (林信次 1995, p. 132)
- ^ a b c d “Austria 1970 - Best laps”. STATS F1. 2020年1月6日閲覧。
- ^ a b c d e “Austrian GP, 1970”. grandprix.com. 2020年1月5日閲覧。
- ^ (林信次 1995, p. 113)
- ^ a b c d e f “Austria 1970”. STATS F1. 2020年1月5日閲覧。
- ^ “Austria 1970 - Race entrants”. STATS F1. 2020年1月6日閲覧。
- ^ a b “Austria 1970 - Result”. STATS F1. 2020年1月4日閲覧。
- ^ “Austria 1970 - Qualifications”. STATS F1. 2020年1月6日閲覧。
- ^ “Austria 1970 - Starting grid”. STATS F1. 2020年1月6日閲覧。
- ^ a b (アラン・ヘンリー 1989, p. 257)
- ^ (林信次 1995, p. 106-107)
- ^ “1970 Austrian Grand Prix”. formula1.com. 31 October 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。22 December 2015閲覧。
- ^ “Austria 1970 - Laps led”. STATS F1. 2020年1月6日閲覧。
- ^ a b “Austria 1970 - Championship”. STATS F1. 7 March 2019閲覧。
参照文献
編集- Wikipedia英語版 - en:1970 Austrian Grand Prix(2019年8月31日 2:27:30(UTC))
- 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6。
- アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
- ダグ・ナイ『チーム・マクラーレンの全て』森岡成憲(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
外部リンク
編集前戦 1970年ドイツグランプリ |
FIA F1世界選手権 1970年シーズン |
次戦 1970年イタリアグランプリ |
前回開催 1964年オーストリアグランプリ |
オーストリアグランプリ | 次回開催 1971年オーストリアグランプリ |