1969年の広島東洋カープでは、1969年の広島東洋カープの動向についてまとめる。

1969年の広島東洋カープ
成績
セントラル・リーグ6位
56勝70敗4分 勝率.444[1]
本拠地
都市 広島県広島市
球場 広島市民球場
球団組織
オーナー 松田恒次
経営母体 松田家(東洋工業創業者一族)
監督 根本陸夫
« 1968
1970 »

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この年の広島東洋カープは、根本陸夫監督の2年目のシーズンである。

概要

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根本監督2年目のチームは前年Aクラス入りから優勝候補に上がり、4月は首位に立つ好スタートを切った。しかし、鯉のぼりの季節を過ぎると最下位に転落してしまう。その後もアトムズ(この年のみフジテレビ産業経済新聞社をはじめとするフジサンケイグループヤクルト本社の共同経営。)と僅差の争いが続いたが、最後は力尽きてAクラス入りからわずか1年で最下位に沈んだ。最終的には56勝70敗4分だったが、投手陣は安仁屋宗八外木場義郎大石弥太郎白石静生などがローテーションを守ったが、打線の援護はなく負ける試合も目立った。打撃陣では、この年ルーキーの山本浩二が6番を打ち、主砲の山本一義が主に3番を打つことが多く、前年後半から一軍入りの井上弘昭が後半戦から1番を打つこともあった。その一方で、ベテランの山内一弘古葉竹識も衰えからか、欠場する試合も目立った。シーズン終了後、古葉が南海へトレードで移籍し、戦力が一気に若返ることになる。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 苑田敏彦
2 今津光男
3 山内一弘
4 山本一義
5 衣笠祥雄
6 山本浩二
7 朝井茂治
8 久保祥次
9 安仁屋宗八
1969年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 広島 --- 阪神 --- 巨人 --- 巨人 --- 巨人 --- 巨人 --- 巨人 ---
2位 阪神 1.0 巨人 1.0 阪神 3.0 阪神 4.5 阪神 4.0 阪神 9.0 阪神 6.5
3位 巨人 1.0 大洋 中日 3.5 中日 7.0 大洋 7.5 大洋 9.5 大洋 11.0
4位 大洋 1.5 広島 3.0 大洋 6.0 大洋 7.5 アトムズ 8.0 中日 11.0 中日 14.0
5位 アトムズ 中日 4.0 広島 7.5 アトムズ 10.0 中日 12.5 アトムズ 14.5 アトムズ 16.5
6位 中日 4.0 アトムズ 6.0 アトムズ 10.0 広島 10.0 広島 13.0 広島 18.0 広島 18.0


1969年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 読売ジャイアンツ 73 51 6 .589 優勝
2位 阪神タイガース 68 59 6 .535 6.5
3位 大洋ホエールズ 61 61 7 .500 11.0
4位 中日ドラゴンズ 59 65 6 .476 14.0
5位 アトムズ 58 69 3 .457 16.5
6位 広島東洋カープ 56 70 4 .444 18.0

[1]

選手・スタッフ

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オールスターゲーム1969

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コーチ 根本陸夫
ファン投票 選出なし
監督推薦 外木場義郎 山内一弘 山本一義

表彰選手

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リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
山本一義 外野手 3年ぶり2度目

ドラフト

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順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 千葉剛 投手 日本鉱業日立 入団
2位 渋谷通 内野手 平安高 入団
3位 上垣内誠 外野手 河合楽器 入団
4位 森永悦弘 投手 日本楽器 拒否
5位 小林正之 内野手 千葉商科大学 入団
6位 西沢正次 捕手 河合楽器 入団
7位 島村雄二 内野手 埼玉・大宮高 入団
8位 斎藤数馬 投手 東洋紡岩国 拒否
9位 竹中昭 投手 由良育英高 入団
10位 谷博信 投手 日本熱学 拒否
11位 高橋英二 内野手 仙台鉄道管理局 拒否

脚注

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出典

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