1969年のアトムズ
1969年のアトムズ(1969ねんのアトムズ)では、1969年のアトムズの動向をまとめる。
1969年のアトムズ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ5位 | |
58勝69敗3分 勝率.457[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都新宿区 |
球場 | 明治神宮野球場 |
球団組織 | |
オーナー | 松園尚巳 |
経営母体 |
産業経済新聞社 ヤクルト本社(共同経営) |
監督 | 別所毅彦 |
« 1968 1970 » |
この年のアトムズは、別所毅彦監督の2年目のシーズンであり、産業経済新聞社とヤクルト本社との共同経営になったのに伴い、スポンサー名なしで「アトムズ」と名乗った唯一のシーズンでもある。
概要
編集この年は主砲デーブ・ロバーツが大活躍、8月までは打者3部門(打率・本塁打・打点)のトップをひた走り、「三冠王」と期待されたが、巨人戦でのケガで長期離脱となり、結局無冠で終わった。その一方、5月27日には主力だったルー・ジャクソンが膵臓壊死で死去という出来事も起き、同日の阪神戦では6回に13点取られるという屈辱を味わう。7月末にはジャクソンに代わる新外国人ボブ・チャンスが入団。8月からの出場ながら16本の本塁打を打つ活躍を見せる。チーム打率はリーグ2位の.244、本塁打もリーグ3位の139本と打撃陣は及第点だったが、投手陣が不振で、チーム防御率は3.71で最下位だった。最後は順位を1つ落として5位となった。この年は3位の大洋に16勝9敗1分と勝ち越したが、巨人には相変わらず弱く10勝16敗、最下位の広島にも12勝14敗と負け越した。シーズン終了後、1963年に西鉄ライオンズから移籍し、主力として活躍した豊田泰光が現役引退、17年の現役生活に幕を降ろした。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 二 | 武上四郎 |
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2 | 三 | 丸山完二 |
3 | 一 | ロバーツ |
4 | 左 | 高倉照幸 |
5 | 中 | 高山忠克 |
6 | 右 | 小淵泰輔 |
7 | 遊 | 城戸則文 |
8 | 捕 | 加藤俊夫 |
9 | 投 | 河村保彦 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 広島 | --- | 阪神 | --- | 巨人 | --- | 巨人 | --- | 巨人 | --- | 巨人 | --- | 巨人 | --- |
2位 | 阪神 | 1.0 | 巨人 | 1.0 | 阪神 | 3.0 | 阪神 | 4.5 | 阪神 | 4.0 | 阪神 | 9.0 | 阪神 | 6.5 |
3位 | 巨人 | 1.0 | 大洋 | 中日 | 3.5 | 中日 | 7.0 | 大洋 | 7.5 | 大洋 | 9.5 | 大洋 | 11.0 | |
4位 | 大洋 | 1.5 | 広島 | 3.0 | 大洋 | 6.0 | 大洋 | 7.5 | アトムズ | 8.0 | 中日 | 11.0 | 中日 | 14.0 |
5位 | アトムズ | 中日 | 4.0 | 広島 | 7.5 | アトムズ | 10.0 | 中日 | 12.5 | アトムズ | 14.5 | アトムズ | 16.5 | |
6位 | 中日 | 4.0 | アトムズ | 6.0 | アトムズ | 10.0 | 広島 | 10.0 | 広島 | 13.0 | 広島 | 18.0 | 広島 | 18.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 73 | 51 | 6 | .589 | 優勝 |
2位 | 阪神タイガース | 68 | 59 | 6 | .535 | 6.5 |
3位 | 大洋ホエールズ | 61 | 61 | 7 | .500 | 11.0 |
4位 | 中日ドラゴンズ | 59 | 65 | 6 | .476 | 14.0 |
5位 | アトムズ | 58 | 69 | 3 | .457 | 16.5 |
6位 | 広島東洋カープ | 56 | 70 | 4 | .444 | 18.0 |
オールスターゲーム1969
編集→詳細は「1969年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 | 武上四郎 | ロバーツ |
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監督推薦 | 石戸四六 |
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー |
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受賞者なし |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
ロバーツ | 外野手 | 2年連続2度目 |
ドラフト
編集→詳細は「1969年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 八重樫幸雄 | 捕手 | 仙台商業高 | 入団 |
2位 | 西井哲夫 | 投手 | 宮崎商業高 | 入団 |
3位 | 長井繁夫 | 内野手 | 中央大学 | 入団 |
4位 | 佐々木辰夫 | 内野手 | 四国電力 | 拒否 |
5位 | 井原慎一郎 | 投手 | 丸亀商業高 | 入団 |
6位 | 外山義明 | 投手 | クラレ岡山 | 入団 |
7位 | 大矢明彦 | 捕手 | 駒澤大学 | 入団 |
8位 | 内田順三 | 外野手 | 駒澤大学 | 入団 |
9位 | 生田啓一 | 内野手 | 中京高 | 拒否・中京大学進学 |
10位 | 松村憲章 | 投手 | 徳島商業高 | 入団 |
11位 | 内田睦夫 | 捕手 | 日立製作所 | 拒否 |
12位 | 山根政明 | 投手 | 大昭和製紙 | 拒否 |
13位 | 一の関秀則 | 投手 | 五城目高 | 入団 |
14位 | 佐藤広美 | 内野手 | 県立岐阜商業高 | 拒否・明治大学進学 |
1位に八重樫、7位に大矢と、1978年初優勝時の捕手コンビがこの時指名されて入団、またその初優勝時に活躍した井原慎一朗が、「慎一郎」名義で指名され入団している。
出典
編集- ^ “年度別成績 1969年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月31日閲覧。
- ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 147
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。