1967年の東京オリオンズ
1967年の東京オリオンズでは、1967年シーズンの東京オリオンズの動向についてまとめる。
1967年の東京オリオンズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ4位 | |
61勝69敗7分 勝率.469[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都荒川区 |
球場 | 東京スタジアム |
球団組織 | |
オーナー | 永田雅一 |
経営母体 | 大映・毎日新聞社 |
監督 |
戸倉勝城 (6月20日から休養、8月1日から復帰、8月14日に解任) 濃人渉 (6月20日から7月31日まで監督代行、8月15日から監督) |
« 1966 1968 » |
この年の東京オリオンズは、戸倉勝城が監督に就任したが、チーム戦術について、オーナーと意見対立して解任され、シーズン終盤を濃人渉が監督を務めたシーズンである。
概要
編集この年から縦縞を廃止するなど、ロサンゼルス・ドジャースをイメージしたユニフォームに変更した。
だが依然として貧弱打線のために低迷、4月25日には坂井勝二投手がノーヒットノーランを続けながらチームは打てず、延長戦で負けるという醜態。その頃セ・リーグでは、中日ドラゴンズ(西沢道夫→近藤貞雄代行)、サンケイアトムズ(飯田徳治→中原宏代行)、大洋ホエールズ(三原脩→別当薫代行)と、3球団で監督途中交代が相次ぎ、その影響はオリオンズまで響き、いったん戸倉監督が休養→濃人ヘッドコーチが代行→戸倉監督復帰するもやがて解任→濃人監督就任と、めまぐるしく監督が替わった。
その後も低迷は続き、近鉄バファローズとの最終2戦に連敗すれば史上初の最下位となる状態へ。結果は連勝して辛くも最下位は免れたものの、これでようやく永田雅一オーナーは「守りの野球」がダメだった事が分かり、翌1968年からはジョージ・アルトマンとアルト・ロペスの2外国人を入団して打線を強化し、1970年の優勝につながっていった。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 中 | 西田孝之 |
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2 | 二 | 石黒和弘 |
3 | 一 | 榎本喜八 |
4 | 右 | 井石礼司 |
5 | 三 | 前田益穂 |
6 | 左 | 森徹 |
7 | 捕 | 醍醐猛夫 |
8 | 遊 | 山崎裕之 |
9 | 投 | 小山正明 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- |
2位 | 西鉄 | 西鉄 | 1.5 | 東映 | 5.5 | 東映 | 6.5 | 東映 | 11.0 | 東映 | 9.5 | 西鉄 | 9.0 | |
3位 | 東映 | 3.0 | 東映 | 3.0 | 西鉄 | 8.0 | 南海 | 9.0 | 南海 | 西鉄 | 11.0 | 東映 | 10.0 | |
4位 | 南海 | 3.5 | 近鉄 | 5.0 | 南海 | 9.0 | 西鉄 | 9.0 | 東京 | 12.0 | 南海 | 12.0 | 南海 | 11.0 |
5位 | 近鉄 | 3.5 | 東京 | 5.5 | 東京 | 10.5 | 東京 | 9.5 | 西鉄 | 12.5 | 東京 | 15.0 | 東京 | 14,0 |
6位 | 東京 | 5.0 | 南海 | 6.0 | 近鉄 | 12.0 | 近鉄 | 14.0 | 近鉄 | 19.5 | 近鉄 | 18.5 | 近鉄 | 16.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪急ブレーブス | 75 | 55 | 4 | .577 | 優勝 |
2位 | 西鉄ライオンズ | 66 | 64 | 10 | .508 | 9.0 |
3位 | 東映フライヤーズ | 65 | 65 | 4 | .500 | 10.0 |
4位 | 南海ホークス | 64 | 66 | 3 | .492 | 11.0 |
5位 | 東京オリオンズ | 61 | 69 | 7 | .469 | 14.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 59 | 71 | 2 | .454 | 16.0 |
オールスターゲーム1967
編集→詳細は「1967年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 | 小山正明 | 榎本喜八 | 前田益穂 | 井石礼司 |
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監督推薦 | 選出なし | |||
補充選手 | 成田文男 |
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
西田孝之 | 盗塁王 | 32個 | 初受賞 |
ベストナイン |
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選出なし |
ドラフト
編集→詳細は「1967年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | 守備位置 | 所属 | 結果 |
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1位 | 村田長次 | 投手 | 福山電波工業高 | 入団 |
2位 | 岡田光雄 | 投手 | 邇摩高 | 拒否・松下電器入社 |
3位 | 島谷金二 | 内野手 | 四国電力 | 拒否 |
4位 | 榊親一 | 捕手 | 日本通運 | 入団 |
5位 | 藤村正美 | 内野手 | 三田学園高 | 拒否・法政大学進学 |
6位 | 吉岡邦広 | 投手 | 三田学園高 | 入団 |
7位 | 中村裕二 | 捕手 | 柳川商業高 | 拒否・法政大学進学 |
8位 | 金子勝美 | 投手 | 埼玉・大宮高 | 拒否・早稲田大学進学 |
9位 | 堀田芳信 | 投手 | 三谷水産高 | 入団 |
10位 | 吉岡悟 | 内野手 | 富山商業高 | 入団 |
11位 | 池田和雄 | 外野手 | 習志野高 | 拒否・慶應義塾大学進学 |
12位 | 西脇正彦 | 内野手 | 関西大学 | 拒否・電電近畿入社 |
出典
編集- ^ “年度別成績 1967年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月19日閲覧。
- ^ “千葉ロッテマリーンズ公式HP 歴代所属選手”. 千葉ロッテマリーンズ. 2017年5月9日閲覧。