1967年の南海ホークス
1967年の南海ホークスでは、1967年の南海ホークスの動向をまとめる。
1967年の南海ホークス | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ4位 | |
64勝66敗3分 勝率.492[1] | |
本拠地 | |
都市 | 大阪府大阪市 |
球場 | 大阪球場 |
球団組織 | |
経営母体 | 南海電気鉄道 |
監督 | 鶴岡一人 |
« 1966 1968 » |
この年の南海ホークスは、鶴岡一人監督の22年目のシーズンである。
概要
編集球団初の4連覇(それまでは3連覇が2回)がかかったこの年、チームはアメリカからのちにID野球の元になった「考える野球」の提唱者であるドン・ブレイザーが入団。ブレイザーは守備だけでなく打撃でもいい成績を残して鶴岡監督の期待に応え、エースの皆川睦雄やリリーフの杉浦忠など投手陣が「ブレイザーが守っていると安心して投げられる」と絶賛するほどであった。4連覇のかかったシーズンは開幕ダッシュが期待されたものの、5月には首位の阪急と6ゲーム差の最下位に転落。それでも6月以降は持ち直して一度は2位に浮上するものの、9月以降は負けが込み西鉄に抜かれると最後は浮上せず近畿日本鉄道が親会社となった1944年以来23年ぶり、そして戦後初のBクラスで終了し4連覇はならなかった。投手陣は皆川、渡辺泰輔、合田栄蔵が規定投球回に到達してそれなりの成績を残したが、チーム防御率は3.04のリーグ4位。打撃陣は野村克也の奮闘があったが、チーム打率と得点が5位に終わった。シーズン終了後、3連覇に貢献したケント・ハドリがこの年限りで退団した。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 右 | 樋口正蔵 |
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2 | 二 | ブレイザー |
3 | 中 | 広瀬叔功 |
4 | 捕 | 野村克也 |
5 | 一 | ハドリ |
6 | 左 | 小泉恒美 |
7 | 三 | 国貞泰汎 |
8 | 遊 | 小池兼司 |
9 | 投 | 皆川睦雄 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- | 阪急 | -- |
2位 | 西鉄 | 西鉄 | 1.5 | 東映 | 5.5 | 東映 | 6.5 | 東映 | 11.0 | 東映 | 9.5 | 西鉄 | 9.0 | |
3位 | 東映 | 3.0 | 東映 | 3.0 | 西鉄 | 8.0 | 南海 | 9.0 | 南海 | 西鉄 | 11.0 | 東映 | 10.0 | |
4位 | 南海 | 3.5 | 近鉄 | 5.0 | 南海 | 9.0 | 西鉄 | 9.0 | 東京 | 12.0 | 南海 | 12.0 | 南海 | 11.0 |
5位 | 近鉄 | 3.5 | 東京 | 5.5 | 東京 | 10.5 | 東京 | 9.5 | 西鉄 | 12.5 | 東京 | 15.0 | 東京 | 14,0 |
6位 | 東京 | 5.0 | 南海 | 6.0 | 近鉄 | 12.0 | 近鉄 | 14.0 | 近鉄 | 19.5 | 近鉄 | 18.5 | 近鉄 | 16.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪急ブレーブス | 75 | 55 | 4 | .577 | 優勝 |
2位 | 西鉄ライオンズ | 66 | 64 | 10 | .508 | 9.0 |
3位 | 東映フライヤーズ | 65 | 65 | 4 | .500 | 10.0 |
4位 | 南海ホークス | 64 | 66 | 3 | .492 | 11.0 |
5位 | 東京オリオンズ | 61 | 69 | 7 | .469 | 14.0 |
6位 | 近鉄バファローズ | 59 | 71 | 2 | .454 | 16.0 |
オールスターゲーム1967
編集→詳細は「1967年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
監督 | 鶴岡一人 | ||
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ファン投票 | 野村克也 | ブレイザー | |
監督推薦 | 渡辺泰輔 | 皆川睦男 | 小池兼司 |
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
野村克也 | 本塁打王 | 35本 | 7年連続8度目 |
打点王 | 100打点 | 6年連続6度目 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
野村克也 | 捕手 | 12年連続12度目 |
ブレイザー | 二塁手 | 初受賞 |
ドラフト
編集→詳細は「1967年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | 守備位置 | 所属 | 結果 |
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1位 | 藤原真 | 投手 | 慶應義塾大学 | 拒否・鐘紡入社 |
2位 | 西岡三四郎 | 投手 | 洲本実業高 | 入団 |
3位 | 横山晴久 | 投手 | 小倉工業高 | 拒否・法政大学進学 |
4位 | 高橋里志 | 投手 | 電電北陸 | 入団 |
5位 | 高畠導宏 | 外野手 | 日本鉱業日立 | 入団 |
6位 | 上林成行 | 投手 | 国府高 | 拒否 |
7位 | 矢部祐一 | 内野手 | 常磐炭砿 | 拒否 |
8位 | 宮島義人 | 捕手 | 塚原天竜高 | 拒否 |
9位 | 坂英男 | 外野手 | 県立岐阜商業高 | 入団 |
10位 | 加藤秀司 | 内野手 | 松下電器 | 拒否 |
11位 | 青山常夫 | 投手 | 豊川工業高 | 拒否・日産自動車入社 |
12位 | 鶴岡泰 | 外野手 | 法政大学 | 交渉権放棄・日本楽器入社 |
13位 | 山口和雄 | 投手 | 唐津東高 | 入団 |
14位 | 松室武 | 外野手 | 龍谷大学 | 入団 |
15位 | 村井英司 | 捕手 | 北海高 | 拒否・電電北海道入社 |
16位 | 高瀬逸夫 | 内野手 | 日田林工高 | 拒否・住友金属入社 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “年度別成績 1967年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月22日閲覧。
- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。