1963年の国鉄スワローズ
1963年の国鉄スワローズ(1963ねんのこくてつスワローズ)では、1963年の国鉄スワローズの動向をまとめる。
1963年の国鉄スワローズ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ4位 | |
65勝73敗2分 勝率.471[1] | |
本拠地 | |
都市 | 東京都文京区 |
球場 | 後楽園球場 |
球団組織 | |
経営母体 |
日本国有鉄道 産業経済新聞社(資本提携) |
監督 | 浜崎真二 |
« 1962 1964 » |
この年の国鉄スワローズは、浜崎真二が1年だけ、監督を務めたシーズンである。
概要
編集前年にサンケイ新聞などを傘下に持つフジサンケイグループと業務提携したことで、資金にゆとりが出来たスワローズは、シーズンオフに巨人から「エンディ」こと宮本敏雄、西鉄から「西鉄黄金時代三羽烏」の一人である豊田泰光をトレードし、打線の強化を計った。こうして始まったシーズンでは期待された打線が活躍したほか、「通算勝利数」で別所毅彦を抜いたエースの金田正一が30勝を上げて5年ぶりの「最多勝投手」を受賞したことでチームは1959年以来の4位へ躍進した。だがオフ中に浜崎監督が突如解任され、元大映エースの林義一が後任になった。これが翌年に起きたチーム内の亀裂に繋がり、金田が移籍することになる。この年は巨人と相性が良く16勝12敗、最下位の広島には18勝10敗とそれぞれ勝ち越したが、2位の中日には8勝18敗2分と苦杯をなめさせられた。このシーズン、東映フライヤーズの本拠地だった神宮球場に隣接する神宮第2球場を建設して移転する意向をしめすが、その後の交渉で神宮球場の使用が認められ、1964年から移転となった。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 中 | 丸山完二 |
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2 | 左 | 高林恒夫 |
3 | 右 | 宮本敏雄 |
4 | 遊 | 豊田泰光 |
5 | 三 | 徳武定祐 |
6 | 二 | 土屋正孝 |
7 | 一 | 星山晋徳 |
8 | 捕 | 根来広光 |
9 | 投 | 金田正一 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 中日 | 1.5 | 中日 | 3.0 | 中日 | 8.5 | 中日 | 10.0 | 中日 | 6.0 | 中日 | 4.0 | 中日 | 2.5 |
3位 | 広島 | 5.0 | 広島 | 7.5 | 国鉄 | 14.5 | 国鉄 | 17.0 | 阪神 | 18.0 | 阪神 | 16.5 | 阪神 | 14.5 |
4位 | 阪神 | 7.0 | 国鉄 | 8.0 | 阪神 | 15.5 | 大洋 | 20.5 | 大洋 | 21.0 | 大洋 | 19.0 | 国鉄 | 18.0 |
5位 | 国鉄 | 7.5 | 阪神 | 11.0 | 広島 | 16.5 | 阪神 | 20.5 | 国鉄 | 22.0 | 国鉄 | 19.5 | 大洋 | 24.0 |
6位 | 大洋 | 9.0 | 大洋 | 12.5 | 大洋 | 17.0 | 広島 | 22.0 | 広島 | 26.0 | 広島 | 25.0 | 広島 | 25.0 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 83 | 55 | 2 | .601 | 優勝 |
2位 | 中日ドラゴンズ | 80 | 57 | 3 | .584 | 2.5 |
3位 | 阪神タイガース | 69 | 70 | 1 | .496 | 14.5 |
4位 | 国鉄スワローズ | 65 | 73 | 2 | .471 | 18.0 |
5位 | 大洋ホエールズ | 59 | 79 | 2 | .428 | 24.0 |
6位 | 広島カープ | 58 | 80 | 2 | .420 | 25.0 |
オールスターゲーム1963
編集→詳細は「1963年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 | 金田正一 | ||
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監督推薦 | 根来広光 | 豊田泰光 | 徳武定之 |
できごと
編集- この年、金田正一投手が別所毅彦の「310勝」を抜いて、「通算勝利数」でトップとなる。
- 開幕2週目で今シーズン初勝利(297勝)、そして5月8日で別所・ヴィクトル・スタルヒンに続く「300勝」を達成[2]。
- 6月15日:阪神戦で勝利、タイ記録ににあと1勝と迫った「309勝」。初勝利からここまで13勝1敗のハイピッチ[2]。
- 6月18日:中日戦、7回に江藤慎一の満塁本塁打などで6点を失い逆転負け[2]。
- 6月20日:中日戦、金田自ら三塁打を打ってリードするも、またもや江藤慎一に打たれて負け[2]
- 6月22日:大洋戦、8回2-2になったところで村田元一をリリーフ、その裏国鉄が1点を取ってラッキーな勝利、遂に310勝のタイ記録[2]。
- 6月23日:大洋戦で6回からリリーフしたが、8回に打たれて負け[2]。
- 6月27日:中日戦、初回に国鉄が4点追加しリード、ところが新記録目前の9回裏に4点取られて逆転サヨナラ負け。ここまでの4敗は7-9回の終盤にやられたもので、新記録達成に流石の金田も気持ちが高ぶってきた[2]。
- 6月30日:広島戦、5回に6-4とリードしたところで、渋谷→鈴木とつながれたマウンドへ。7回突風で8分試合が中断するハプニングがあったものの影響はなく、遂に「311勝」の新記録を達成、浜崎真二監督は「娘の難産を見る思い」とコメント。この後は気持ちが収まり7月まで8連勝。なおこの時報道陣から目標を聞かれた金田は、即座に「400勝」と宣言、その400勝は巨人に移籍後の1969年10月10日に中日戦で達成する[2]。
選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
金田正一 | 最多勝利 | 30勝 | 5年ぶり3度目 |
最多奪三振 | 287個 | 3年ぶり9度目 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
金田正一 | 投手 | 5年ぶり3度目 |