1957年の広島カープ
1957年の広島カープでは、1957年シーズンについての広島カープの動向についてまとめる。
1957年の広島カープ | |
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成績 | |
セントラル・リーグ5位 | |
54勝75敗1分 勝率.419[1] | |
本拠地 | |
都市 | 広島県広島市 |
球場 |
広島県総合野球場(6月末まで) 広島市民球場(7月22日開場) |
球団組織 | |
監督 | 白石勝巳 |
« 1956 1958 » |
この年の広島カープは、この年から監督専任になった白石勝巳監督の5年目のシーズンである。
概要
編集それまでの広島総合球場に代わって、7月24日から新築の広島市民球場を本拠地としたチームは前年の惨敗から巻き返しを図るべく、藤井弘や横溝桂や阿南準郎(当時は潤一)などの若手を積極的に起用。カープ黎明期の選手や他球団からの移籍組などが衰える中で、チームは今年こそ3位以内に入ることを目標にして開幕を迎え、6月には首位の中日に3ゲーム差の4位と健闘。しかし、夏場を過ぎるとチームは成績が急降下し10月以降は大洋との最下位争いとなった。最終的には大洋に0.5ゲーム差をつけて5位を死守したが、優勝の巨人に21ゲーム離された。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 右 | 平山智 |
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2 | 二 | 金山次郎 |
3 | 一 | 藤井弘 |
4 | 中 | 小鶴誠 |
5 | 左 | 緋本祥好 |
6 | 遊 | 阿南準郎 |
7 | 三 | 原田信吉 |
8 | 捕 | 川原政数 |
9 | 投 | 長谷川良平 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 9月終了時 | 最終成績 | |||||||
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1位 | 中日 | -- | 中日 | -- | 中日 | -- | 中日 | -- | 大阪 | -- | 巨人 | -- | 巨人 | -- |
2位 | 大阪 | 0.5 | 大阪 | 3.0 | 巨人 | 1.5 | 大阪 | 3.0 | 巨人 | 0.0 | 中日 | 3.0 | 大阪 | 1.0 |
3位 | 巨人 | 3.0 | 巨人 | 5.0 | 広島 | 2.5 | 巨人 | 3.5 | 中日 | 1.0 | 大阪 | 3.0 | 中日 | 4.0 |
4位 | 広島 | 4.0 | 広島 | 7.0 | 大阪 | 3.0 | 広島 | 7.0 | 国鉄 | 9.0 | 国鉄 | 15.5 | 国鉄 | 15.5 |
5位 | 国鉄 | 6.5 | 国鉄 | 8.5 | 国鉄 | 6.5 | 国鉄 | 7.5 | 広島 | 10.5 | 広島 | 17.5 | 広島 | 21.0 |
6位 | 大洋 | 10.0 | 大洋 | 15.5 | 大洋 | 16.5 | 大洋 | 21.0 | 大洋 | 15.5 | 大洋 | 18.0 | 大洋 | 21.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 読売ジャイアンツ | 74 | 53 | 3 | .583 | 優勝 |
2位 | 大阪タイガース | 73 | 54 | 3 | .575 | 1.0 |
3位 | 中日ドラゴンズ | 70 | 57 | 3 | .551 | 4.0 |
4位 | 国鉄スワローズ | 58 | 68 | 4 | .460 | 15.5 |
5位 | 広島カープ | 54 | 75 | 1 | .419 | 21.0 |
6位 | 大洋ホエールズ | 52 | 74 | 4 | .413 | 21.5 |
選手・スタッフ
編集オールスターゲーム1957
編集→詳細は「1957年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
ファン投票 | 選出なし | |
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監督推薦 | 長谷川良平 | 藤井弘 |
表彰選手
編集リーグ・リーダー |
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受賞者なし |
ベストナイン | ||
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選出なし |
脚注
編集出典
編集- ^ a b “年度別成績 1957年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月6日閲覧。