1955年のラジオ (日本)では、1955年日本ラジオ番組、その他ラジオ界の動向について記す。

主な番組関連の出来事

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  • 4月16日 - NHKが、ラジオ第1(左)と第2(右)のモノラル音声2波を使った立体(ステレオ)放送にて初めて、録音ルポルタージュによるドキュメンタリー番組『夜の東京をゆく』を放送[1][2]
  • 4月17日 - ラジオ東京、この日の『イングリッシュ・アワー』にて、前年のNHK東京ラジオ第1放送に続き、NHKの「広帯域放送」に当たる高音質の「ハイファイ放送」を、日本の民放ラジオで初めて開始[注 1][3]
  • 10月1日 - ラジオ新潟、4時15分より、本社およびスタジオの入居する百貨店屋上から新潟大火の状況を報じるも、火の手が迫り、20分後に放送を中断して退避。約1分後に送信所に置いた仮設スタジオから放送を再開した。その後、本社建物は全焼[4]。このときの報道功績で同局は第4回民放祭番組コンクール「報道活動賞揚(優秀)」を受賞した[5]
  • 10月7日 - ニッポン放送が、富士製鐵一社提供によるクラシックの音楽番組『フジセイテツコンサート』を放送開始。1970年3月31日に富士製鐵と八幡製鐵が合併し新日本製鐵(現・日本製鉄)となったことに伴い、『新日鉄コンサート』に番組名を改題。2005年3月27日に番組が終了するまで49年半、全2582回放送される長寿番組となった。

開局

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節目

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番組周年・記念回

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開局周年

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特別番組

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4月放送

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  • 16日 - 立体(ステレオ)放送「夜の東京をゆく」(NHKラジオ第1・第2)[1][2]

10月放送

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  • 30日 - 立体(ステレオ)放送 立体放送劇「青の円柱」(芸術祭参加作品)(NHKラジオ第1・第2)[6]

11月放送

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  • 3日 - 立体(ステレオ)放送 立体音楽物語「新しい星の生まれるとき」(芸術祭参加作品)(NHKラジオ第1・第2)[6][7]

12月放送

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開始番組

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1955年2月放送開始

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ラジオ福島

1955年4月放送開始

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NHKラジオ第2

1955年6月放送開始

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朝日放送

1955年10月放送開始

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ニッポン放送

新日本放送

終了番組

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1955年3月放送終了

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NHKラジオ第1

1955年7月放送終了

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新日本放送

注釈

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  1. ^ 同番組の毎週木・日曜に「ハイ・フィディリティ・タイム」を設け、ジャズ、クラシック、セミクラシック(今で言うインストゥルメンタルのイージー・リスニング)のアナログ盤を放送。40~15,000Hzの周波数帯域特性を持っていた。
  2. ^ 後継番組は、「ジャズはいかが」(ラジオ第2で放送)。

脚注

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  1. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'57』日本放送出版協会、1957年、53、151頁。 
  2. ^ a b 朝日新聞 1955年4月16日 朝刊 P.5 ラジオ・プログラム 及び「聴きもの・見もの」番組紹介欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  3. ^ 東京放送 社史編集室『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月10日、273、584頁。 
  4. ^ 『放送の五十年 昭和とともに』, pp. 165–166.
  5. ^ 第4回民放祭番組コンクール(1956.4.21)入選・事績 日本民間放送連盟
  6. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'57』日本放送出版協会、1957年、137~8頁。 
  7. ^ 朝日新聞 1955年11月3日 朝刊 P.8 ラジオ・プログラム(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  8. ^ a b c 朝日新聞 1955年12月31日 朝刊 P.5 ラジオ・プログラム 及び「聴きもの・見もの」番組紹介欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  9. ^ 東京放送 社史編集室『東京放送のあゆみ』東京放送、1965年5月10日、585頁。 
  10. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'57』日本放送出版協会、1957年、151頁。 
  11. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'57』日本放送出版協会、1957年、114頁。 
  12. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'56』日本放送出版協会、1956年、135,136頁。 
  13. ^ 毎日放送 編『毎日放送十年史』毎日放送、1961年12月15日、69,70頁。 

参考文献

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