1954年の近鉄パールスでは、1954年の近鉄パールスの動向をまとめる。

1954年の近鉄パールス
成績
パシフィック・リーグ4位
74勝63敗3分 勝率.540[1]
本拠地
都市 大阪府大阪市
球場 藤井寺球場(デーゲーム)
大阪球場(ナイター)
球団組織
オーナー 佐伯勇
経営母体 近畿日本鉄道
監督 芥田武夫
« 1953
1955 »

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この年の近鉄パールスは、芥田武夫監督の2年目のシーズンである。

概要

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芥田監督1年目は力及ばず最下位に転落したものの、2年目のこの年は開幕から絶好調で首位の西鉄と4.5ゲーム差と健闘。5月以降も阪急とのAクラス争いが続き9月末には同率で並ばれるが、10月以降負けの込んだ阪急を突き放して最後は西鉄・南海に15ゲーム以上離されながらも8球団中4位と健闘し、球団創設5年目で初の勝ち越しとAクラス入りを果たした(その後Aクラス入りするのは1969年まで15年ものブランクがあった)。田中文雄が最多勝を獲得した投手陣と、チーム盗塁数222(リーグトップ)を記録した機動力は機能し、チーム打率も.255(リーグ4位)だったが、チーム最多本塁打は武智修多田文久三森下重好の5本で、入団2年目の小玉明利がレギュラー三塁手に定着したとはいえ、チーム本塁打数も27本(優勝した西鉄と100本以上差)という球史に残る貧打線であった。それでいてシーズン終了後には芥田監督との確執で干されていたスラッガー・杉山光平を南海へ放出したため、貧打線は翌年以降も続くことになる。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 日下隆
2 鈴木武
3 武智修
4 鬼頭政一
5 多田文久三
6 木村勉
7 戸口天従
8 山本静雄
9 田中文雄
1954年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 西鉄 -- 毎日 -- 西鉄 -- 西鉄 -- 西鉄 -- 西鉄 -- 西鉄 --
2位 毎日 1.5 西鉄 1.5 毎日 0.5 毎日 0.5 南海 5.0 南海 0.5 南海 0.5
3位 南海 2.5 南海 4.0 南海 1.0 南海 5.5 毎日 5.5 毎日 10.0 毎日 10.5
4位 阪急 4.5 阪急 6.0 近鉄 8.0 近鉄 10.0 近鉄 11.5 近鉄 16.5 近鉄 16.0
5位 近鉄 近鉄 8.5 阪急 8.5 阪急 10.5 阪急 14.5 阪急 阪急 23.5
6位 大映 5.0 東映 11.0 大映 16.0 東映 20.5 高橋 24.5 高橋 30.0 高橋 37.0
7位 東映 6.5 大映 11.5 東映 16.5 大映 20.5 東映 28.0 東映 33.0 東映 38.5
8位 高橋 11.5 高橋 13.5 高橋 17.5 高橋 20.5 大映 31.0 大映 37.5 大映 46.0


1954年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 西鉄ライオンズ 90 47 3 .657 優勝
2位 南海ホークス 91 49 0 .650 0.5
3位 毎日オリオンズ 79 57 4 .581 10.5
4位 近鉄パールス 74 63 3 .540 16.0
5位 阪急ブレーブス 66 70 4 .485 23.5
6位 高橋ユニオンズ 53 84 3 .387 37.0
7位 東映フライヤーズ 52 86 2 .377 38.5
8位 大映スターズ 43 92 5 .319 46.0

[1]

オールスターゲーム1954

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ファン投票 選出なし
監督推薦 田中文雄 日下隆

できごと

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選手・スタッフ

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[2][3]

表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
鈴木武 盗塁王 71個 初受賞
田中文雄 最多勝利 26勝 初受賞
ベストナイン
選出なし

脚注

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出典

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  1. ^ a b 年度別成績 1954年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年8月6日閲覧。
  2. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 138 
  3. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7