1950年の近鉄パールスでは、1950年シーズンについての近鉄パールスの動向をまとめる。

1950年の近鉄パールス
成績
パシフィック・リーグ7位
44勝72敗4分 勝率.379[1]
本拠地
都市 大阪府大阪市
球場 藤井寺球場(デーゲーム)
大阪球場(ナイター)
球団組織
オーナー 佐伯勇
経営母体 近畿日本鉄道
監督 藤田省三
1951 »

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この年の近鉄パールスは、チーム創設1年目のシーズンであり、藤田省三監督の1年目のシーズンである。

概要

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1949年のオフにプロ野球がセントラル・リーグパシフィック・リーグに分裂すると、親会社の近畿日本鉄道は新球団「近鉄パールス」を結成して1947年南海電気鉄道分離に伴い近畿グレートリングを売却して以来3年ぶりの球界参入となった。新球団の初代オーナーは後にビスタカーの導入や都ホテルの全国拡大などを推し進める佐伯勇本社専務(1951年から社長)が就任。佐伯オーナーはじめ近鉄首脳は法政大学の監督を務めていた藤田省三を初代パールスの監督に迎え、他球団からの中古や藤田監督の人脈から東京六大学の選手が多数入団させるなど戦力を開幕までに整備。しかし、新興球団・パールスは開幕こそまずまずの成績を残すものの5月以降は成績がBクラスに転落。8月に最下位に転落すると、二度と浮上できず藤田監督の1年目は最下位でシーズンを終えた。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 田川豊
2 山本静雄
3 加藤春雄
4 森下重好
5 加藤政一
6 島方金則
7 宝山省二
8 芳村嵓夫
9 黒尾重明
1950年パシフィック・リーグ順位変動
順位 3月終了時 4月終了時 5月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 10月終了時 最終成績
1位 毎日 -- 毎日 -- 毎日 -- 毎日 -- 毎日 -- 毎日 -- 毎日 -- 毎日 --
2位 南海 0.5 南海 2.0 南海 5.0 南海 9.5 南海 12.0 南海 13.0 南海 15.0 南海 15.0
3位 東急 2.5 大映 5.5 大映 13.5 大映 18.0 大映 18.5 大映 14.5 大映 17.5 大映 19.5
4位 近鉄 3.0 東急 7.5 東急 16.0 阪急 20.5 東急 21.0 東急 22.0 阪急 25.5 阪急 28.5
5位 西鉄 3.0 西鉄 西鉄 17.5 東急 21.0 西鉄 23.0 西鉄 26.5 東急 28.0 西鉄 31.5
6位 大映 3.5 近鉄 8.0 近鉄 17.5 近鉄 23.0 阪急 23.0 阪急 27.0 西鉄 29.5 東急 32.5
7位 阪急 5.0 阪急 11.5 阪急 18.0 西鉄 23.5 近鉄 28.5 近鉄 30.0 近鉄 35.0 近鉄 37.5


1950年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 毎日オリオンズ 81 34 5 .704 優勝
2位 南海ホークス 66 49 5 .574 15.0
3位 大映スターズ 62 54 4 .534 19.5
4位 阪急ブレーブス 54 64 2 .458 28.5
5位 西鉄クリッパース 51 67 2 .432 31.5
6位 東急フライヤーズ 51 69 0 .425 32.5
7位 近鉄パールス 44 72 4 .379 37.5

[1]

できごと

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選手・スタッフ

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[2]

表彰選手

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リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選出なし

脚注

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出典

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  1. ^ a b 年度別成績 1950年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年8月6日閲覧。
  2. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 138