1893年の相撲
本場所など
編集誕生
編集- 1月26日 - 小牛田山金太郎(最高位:前頭2枚目、所属:伊勢ノ海部屋、+ 1964年【昭和39年】)[4]
- 2月24日 - 大潮又吉(最高位:関脇、所属:陸奥部屋、+ 1964年【昭和39年】)[5]
- 3月5日 - 福柳伊三郎(最高位:関脇、所属:出羽海部屋、+ 1926年【大正15年】)[6]
- 3月5日 - 大岬伝左衛門(最高位:十両筆頭、所属:二十山部屋、+ 1926年【大正15年】)
- 3月16日 - 友ノ浦喬次(最高位:前頭7枚目、所属:出羽海部屋、+ 1971年【昭和46年】)[4]
- 4月10日 - 千葉ヶ嵜俊治(最高位:大関、所属:二十山部屋、+ 1933年【昭和8年】)[7]
- 4月11日 - 駒泉徳治郎(最高位:前頭2枚目、所属:井筒部屋、+ 1959年【昭和34年】)[8]
- 7月19日 - 鶴ヶ濱増太郎(最高位:小結、所属:中立部屋→荒磯部屋、+ 1939年【昭和14年】)[9]
- 8月26日 - 豊國福馬(最高位:大関、所属:井筒部屋、+ 1942年【昭和17年】)[10]
- 10月15日 - 初代木村光之助(元・幕内格行司、所属:高砂部屋、+ 没年不明)
- 11月1日 - 清瀬川敬之助(最高位:関脇、所属:熊ヶ谷部屋→楯山部屋、+ 1967年【昭和42年】)[5]
- 12月10日 - 浪泉藤市(最高位:十両3枚目、所属:振分部屋、+ 1965年【昭和40年】)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 酒井, pp. 122–124.
- ^ 酒井, pp. 124–126.
- ^ 酒井, pp. 126–127.
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 46頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 42頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 44頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 40頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 41頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 48頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 49頁
参考文献
編集- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。