チェコ国鉄
路線番号123
路線総延長29 km
軌間1435 mm
電圧3000V(直流
最大勾配 8 パーミル
最高速度70 km/h
停車場・施設・接続路線
STR
プルゼニ - ジャテツ線
eBHF
196.6 旧ジャボクリキ 260 m
eABZgl
旧EPPK鉄道本線(ホムトフ方面)
eHST
200.7 旧リボチャニ 220 m
BHF
202.3 ジャテツ西駅 210 m
ABZgl+l
プラハ - ホムトフ線
BHF
203,6 ジャテツ 210 m
ABZgr
プラハ - ホムトフ線
HST
207,2 トヴルシツェ駅 205 m
HST
209,7 ドレイシーフールキ 205 m
BHF
213,9 リシャニ(ジャテツ近郊) 210 m
BHF
215,0 ポストロプルティ 210 m
ABZgr
クーティ - スドムニェルジツェ線
ABZg+r
ローニ方面
BST
ヴルブカ信号所
HST
218.9 ヴィーシュコフ 220 m
BHF
221.5 ポチェラディ 220 m
HST
223.1 ヴォレヴチツェ 220 m
ABZg+r
プラハ - オブルニツェ線
ABZg+r
チージコヴィツェ - オブルニツェ線
HST
232.8 オブルニツェ 210 m
ABZgl
ドゥフツォフ、モスト方面
  • 出典: チェコ鉄道地図[1]
  • キロ程の零点はバイエルン・アイゼンシュタイン /
    ゼレズナールダ・アルジュビェティーン国境駅を
    基準とする。

チェコ国鉄123号線、別名ジャテツ〜オブルニツェ線(チェコ語;Železniční trať Žatec–Obrnice)は、レギオジェット・ウースチー県の鉄道線の名称である。

1872年に、プルゼニ・ブルジェズノ・ホムトフ鉄道の路線として開業した。2019年以前はチェコ鉄道が運行していたが、2019年末に移管された。

歴史

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1870年4月21日にピルゼン(現在プルゼニ)とプリーゼン(現在ブジェズノ)間の本線およびザーツ(現在ジャテツ)を経由しブリュクス(現在モスト)・ドゥクス(現在ドゥフツォフ)で帝国特任アウシヒ・テプリッツ鉄道(k.k. privilegierte Aussig-Teplitz Eisenbahn)と接続する分岐線建設に関する許可は6人の創業者に与えられた。本線と分岐線の建設期限は3年と規定された[2]。帝国特任ピルゼン・プリーゼン・コーモタウ鉄道(k.k. privilegierte Eisenbahn Eisenbahn Pilsen–Priesen(–Komotau), EPPK)は1872年に創立された。1872年9月16日にザーツ - オーバーニッツ(現在オブルニツェ)間およびオーバーニッツ - ブリュクス間がまず開業された。同年10月24日にオーバーニッツ - ビリン(現在ビーリナ)間が貨物輸送向けに開通された。その区間には1873年5月1日に旅客輸送が可能となった。シャーボーグリュック(現在ジャボクリキ) - ザーツ間は同年9月7日に開通されて、ドゥクス方面の鉄道は10月27日に貨物輸送向けに完工した。1874年4月1日にビリン - ドゥクス区間は全体的に開業された[3]

1884年7月1日付きにEPPKは国有化されこの路線もオーストリア帝国鉄道(k.k.österreichischer Staatsbahnen, kkStB)に組み入れられた[4]

第一次世界大戦の終戦後、この路線は他の旧EPPK路線とともに新生のチェコスロバキア国鉄(Československé státní dráhy, ČSD)の路線網に組み入れられた。1938年秋、ミュンヘン協定によりナチス・ドイツがズデーテン地方を占領したのちに、この路線はドイツ国営鉄道(Deutsche Reichbahn, DR)のドレスデン管理局に配属された。1944年当時の路線番号はプルゼニ - ジャテツ区間とジャテツ - ドゥフツォフ区間を合わせて統合された[5]

1945年に第二次世界大戦が終わって、この路線はČSDの路線網に復帰した。1950年代に褐炭採掘産業が北部ボヘミア盆地で集約的となった。ドゥービー、ビーリナ、モストの間にあった耕作地が炭鉱拡張のためだんだん消滅して、町や道路・鉄道交通が犠牲になった。1962年に旅客列車がオブルニツェ - ドゥフツォフ区間で通行しなくて、ビーリナ - レドヴィツェ区間の線路が断絶した。

1960年代にオブルニツェ - ビーリナ区間の複線改修工事が開始されて、目的はウースティー - ホムトフ線の移設および列車路線の共有であった。1968年4月8日にビーリナ - オルドジホフ移設区間が複線と電車線で設備された。1979年に三番目の線路がチェスケー・ズラトニキ分岐点 - ビーリナ間に設置された。1980年代に電化工事はジャテツ西駅 - オブルニツェ駅間で、石炭輸送の目的で進行されて、1985年10月31日に電気運転が実現された。

1993年1月1日にチェコスロバキアの分離により、チェコ鉄道(České Dráhy, ČD)はこの路線を引き受けた。その後、この路線の重要度は低くなって、優等列車運行はプルゼニとリベレツの間に中止された。

運行形態

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ウースチー州運輸連合(Dopravy Ústeckého kraje, DÚK)はこの路線の地域公共交通を担当する[6]

快速「スピェシニー(Sp)」

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  • ジャテツ - ポストロプルティ - ウースチー  ※GW Train Regio社による運行
    平日は一日4往復、土曜日は北行のみ片道1本、日曜日は南行のみ片道1本の運行。ポストロポルティ以東は114号線に乗入れる。
    2023年度に運行を開始した。

普通

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  • ジャテツ西 - モスト  ※レギオジェット・ウースチー県による運行

2時間に1本、平日午後のみ1時間に1本運行されている。全て線内のみの運行。また、モストで130号線プラハ方面の特急と接続する。

2019年以前は、平日のみ一日片道1本のみ、135号線のオセクまで直通する便があった。

臨時列車

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  • 快速
    春・秋に年2日、ホムトフ/ロウニ - ポストロポルティ - ジャテツ - ルジナー間に、一日1往復運行する。ポストロプルティ以東は114号線から直通し、ジャテツ以南は124号線に直通する。ポストロポルティ - ジャテツ間ノンストップで、ポストロプルティは春季に停車、秋季に通過となる。2018,19年運行。
    2018年は、春の年1日のみ、ルジナー行片道1本の運行であった。また、ポストロプルティにも停車していた。

駅一覧

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以下では、チェコ国鉄123号線の駅と営業キロ、停車列車、接続路線などを一覧表で示す。なお、全て各駅停車である。

路線名 駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ Sp Os 接続路線 所在地
160 ジャテツ西駅 - アイゼンシュタインから
202.3
ジャテツ西から
0.0
  160号線(プルゼニ方面) ウースチー州 ロウニ郡
123 ジャテツ駅 1.6 203.9 1.6 124号線(ルジナー方面)、160号線(モスト方面)
トヴルシツェ駅 3.3 207.2 4.9  
ドレイシー・フールキ駅 2.5 209.7 7.4  
リシャニ・ウ・ジャッツェ駅 1.7 211.4 9.1  
ポストロプルティ駅 3.6 215.0 12.7 114号線(リーパ方面)
ヴィーシコフ・ヴ・チェハーフ駅 3.9 218.9 16.6    
ポチェラディ駅 2.6 221.5 19.2    
ヴォレヴチツェ駅 1.5 223.0 20.7     モスト郡
オブルニツェ駅 9.8 232.8 30.5   126号線(ラコヴニーク方面)
126 モスト駅 3.3 236.1 33.8  

113号線(リトムニェルジツェ方面)
130号線(ヂェチーン方面、ヘブ方面)
135号線(オセク方面)

参考文献

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外部リンク

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脚注

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  1. ^ Zdeněk Hudec et. al. (2006) (チェコ語). Atlas drah České republiky 2006–2007 (2nd ed.). Praha: Pavel Malkus. ISBN 80-87047-00-1 
  2. ^ (ドイツ語) Reichsgesetzblatt: 111. Concessionsurkunde vom 21. April 1870. Wien: Kaiserlich-königliche Hof- und Staatsdruckerei. (1870). pp. 249, 250. https://alex.onb.ac.at/cgi-content/alex?apm=0&aid=rgb&datum=18700004&seite=00000249 
  3. ^ Konta (1898). Band 1.2. pp. 105–108
  4. ^ Viktor von Röll, ed (1917) (ドイツ語). Enzyklopädie des Eisenbahnwesens (Eintrag zu Pilsen-Priesener (Komotau-) Eisenbahn). Band 8 (2nd ed.). Berlin / Wien: Urban & Scharzenberg. p. 84. http://www.zeno.org/Roell-1912/K/roell-1912--081-0084 
  5. ^ (ドイツ語) Deutsches Kursbuch - Jahresfahrplan 1944/45: Teil 1 (KBS 167). Berlin: Deutsche Reichsbahn. (1944). p. 213. https://pkjs.de/bahn/Kursbuch1944/Teil1/167.jpg 
  6. ^ Mapy veřejné dopravy v kraji: Železniční linky v DÚK” (チェコ語). Ústecký Kraj. 2024年9月4日閲覧。