龍造寺胤家
龍造寺 胤家(りゅうぞうじ たねいえ)は、室町時代中期から戦国時代にかけての武将。九州千葉氏の家臣。
時代 | 室町時代中期 - 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
改名 | 家弘(初名)、胤家、日円(号) |
官位 | 豊前守 |
主君 | 千葉胤朝 |
氏族 | 龍造寺氏 |
父母 |
父∶龍造寺康家 母∶小鳥居信元娘 |
兄弟 |
胤家、内田左京亮室、家和、澄覚、 大炊助、家兼、天亨 |
子 |
胤直、胤知 養子∶盛家[1] |
略歴
編集肥前国国人・龍造寺氏14代当主・龍造寺康家の長男として誕生。初名は家弘。のち主君・千葉胤朝[2](九州千葉氏)より偏諱を受けて胤家と改名。長男だったが、大内氏など近隣の諸大名に対する対外政策で家中に対立を起こし、それが原因で出奔した。このため、家督は弟・家和が継いだ。
その後は肥前各地を転々としたといわれる。