龍造寺信昭
龍造寺 信昭(りゅうぞうじ のぶあき)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士。須古鍋島家2代当主。肥前国佐賀藩の家老。
時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 永禄9年10月3日(1566年11月14日) |
死没 | 寛永19年9月27日(1642年10月20日) |
別名 | 信明 |
主君 | 龍造寺高房、鍋島勝茂 |
藩 | 肥前佐賀藩 |
氏族 | 龍造寺氏(須古鍋島家) |
父母 |
龍造寺信周 養父:松浦盛 |
兄弟 | 家誠(家俊)、信昭、有田信脇、納富長昭、久和原盛弘、須古正純 |
子 | 鍋島茂周 |
略歴
編集永禄9年(1566年)、須古鍋島家初代当主・龍造寺信周の次男として誕生。後に松浦盛の養子となる。長兄が文禄の役で戦死したために、養子縁組を辞して、須古龍造寺の名跡を継ぐ。
龍造寺高房没後、龍造寺氏から鍋島勝茂への政権移譲を支持し、佐賀藩の家老として支えた。慶長・元和年間の二度にわたり佐賀本藩に領地の一部を委譲した(三部上地)。寛永3年(1626年)、隠居し子・茂周が跡を継ぐ。