黒田直和
黒田 直和(くろだ なおやす)は、上総久留里藩の第8代藩主。久留里藩黒田家9代。
時代 | 江戸時代後期(幕末) - 明治時代 |
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生誕 | 文政2年6月21日(1819年8月11日) |
死没 | 明治9年(1876年)1月9日 |
改名 | 森之丞(幼名)、直質(初名)→直和 |
墓所 | 埼玉県飯能市の能仁寺 |
官位 |
従五位下、大和守、淡路守、豊前守、 和泉守、伊勢守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 上総国久留里藩主 |
氏族 | 黒田氏 |
父母 | 父:黒田直侯、養父:黒田直静 |
兄弟 | 直和、徳永直挙 |
妻 |
正室:太田資始の娘・短子 継室:板倉勝明の娘・楽子 |
子 |
実子:娘(宗義和の六男黒田和志の正室) 養子:直養 |
生涯
編集文政2年(1819年)6月21日、第6代藩主・黒田直侯の妾腹の長男として江戸で生まれる。
天保9年(1838年)7月に父の養嗣子として第7代藩主となっていた黒田直静の養子となり、弘化3年(1846年)12月に従五位下、大和守に叙位・任官する。
嘉永7年(1854年)に直静が死去したため家督を継いだ。6月27日に豊前守に遷任する。
安政2年(1855年)6月、直質(なおただ)から直和へと改名した。
安政5年(1858年)6月、伊勢守に遷任する。
幕末の動乱期に中で、文久3年(1863年)からは治安が悪化する江戸市中の取締役に任じられ、4月には大坂城山里丸加番に任じられた。そのほかにも外国船に備えて海防強化に努めている。
慶応2年(1866年)4月2日、病気を理由に家督を養子の直養(養父・直静の甥)に譲って隠居し、剃髪して松閣と号した。
明治9年(1876年)1月9日、浅草の鳥越別邸で死去した。享年58。
系譜
編集父母
正室、継室
子女
養子
脚注
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