黒沢翁満
江戸時代後期の国学者
黒沢 翁満(くろさわ おきなまろ、1795年(寛政7年)- 1859年5月21日(安政6年4月19日))は、江戸時代後期の国学者[1][2]、歌人[2]である。名は重札、号は葎居[2]。通称は九蔵後に八左衛門[2]。
経歴・人物
編集伊勢の桑名藩士の子として生まれる[2]。幼年期より父から狂歌や和歌を学んだ。1807年(文化4年)に桑名藩士となり[2]、その傍らで戯作や国学に興味を持ち学んだ。1823年(文政6年)に当時の藩主であった松平忠堯の命により[2]、同藩の拠点が武蔵の忍(現在の埼玉県行田市)に移った[1][2]。後に再度戯作や狂歌等滑稽な詩文について学び初め、山東京伝らと共に親交を持った[2]。
しかし京伝の推薦により国学に転じ[2]、本居宣長から学んだ[3]。後に賀茂真淵の学問を参考に独学で学んだ[1]。これにより、真淵を「道祖神」と称して毎朝毎晩彼を礼拝したともされている[2]。翁満は後に国学以外にも随筆家として多くの著書を刊行した。後に再度大坂に移り[1][2]、多くの門人を輩出した[2]。なお翁満が著した著書は随筆や語学、作文等多くの種類に及んだ[1][2]。没後は大阪府大阪市天王寺区口縄坂にある珊瑚寺に葬られた[2]。
逸話
編集主な著作物
編集主著
編集その他の著書
編集脚注
編集外部リンク
編集- 黒沢翁満 - 桑名市~本物力こそ、桑名力。~ - 桑名市公式ホームページ