黒川博通
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黒川 博通(くろかわ ひろみち[1]、1937年〈昭和12年〉[1] - )は、日本の撮影技師。東京都出身[1]。おもに光学撮影担当の撮影技師として、1960年代の東宝特撮映画の製作に携わった。
経歴
編集多摩美術大学在学中に、アルバイトとして映画『日本誕生』の造形に参加[1]。大学卒業後の1961年に東宝特殊技術課に、光学撮影担当の撮影技師として勤務[1]。
特撮監督の円谷英二とは仕事で直接関わる機会はなかったが、編集室の横に円谷の控室があったことから、円谷にマッサージを施していた[2]。
代表作
編集公開年月日 | 作品名 | 制作(配給) | 役職 |
---|---|---|---|
1961年7月30日 | モスラ[1] | 東宝 | 光学撮影 |
1961年8月13日 | 紅の海 | ||
1961年9月17日 | ゲンと不動明王 | ||
1961年10月8日 | 世界大戦争 | ||
1962年3月21日 | 妖星ゴラス | ||
紅の空 | |||
1962年8月11日 | キングコング対ゴジラ | ||
1963年1月3日 | 太平洋の翼 | ||
1963年5月29日 | 青島要塞爆撃命令 | ||
1963年8月11日 | マタンゴ | ||
1963年10月26日 | 大盗賊 | ||
1963年12月22日 | 海底軍艦 | ||
1964年1月13日 | 士魂魔道 大龍巻 | 宝塚映画 (東宝) | |
1964年4月29日 | モスラ対ゴジラ | 東宝 | |
1964年8月11日 | 宇宙大怪獣ドゴラ | ||
1964年12月20日 | 三大怪獣 地球最大の決戦 | ||
1965年6月19日 | 太平洋奇跡の作戦 キスカ | ||
1965年8月8日 | フランケンシュタイン対地底怪獣 | 東宝 ベネディクト・プロ (東宝) | |
1965年10月31日 | 大冒険 | 東宝 渡辺プロダクション (東宝) | |
1965年12月19日 | 怪獣大戦争 | 東宝 | |
1966年7月13日 | ゼロ・ファイター 大空戦 | ||
1966年7月31日 | フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ | 東宝 ベネディクト・プロ (東宝) | |
1966年12月17日 | ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘 | 東宝 | |
1967年7月22日 | キングコングの逆襲 | 東宝 ランキン・バス・プロダクション (東宝) | |
1967年12月16日 | 怪獣島の決戦 ゴジラの息子 | 東宝 | |
1968年8月1日 | 怪獣総進撃 | ||
1968年8月14日 | 連合艦隊司令長官 山本五十六 | ||
1969年7月26日 | 緯度0大作戦 | 東宝 ドン・シャーププロ (東宝) | |
1969年8月13日 | 日本海大海戦 | 東宝 |
脚注
編集- ^ a b c d e f 東宝ゴジラ会 2010, p. 176, 「第二章 円谷組スタッフインタビュー INTERVIEW13 黒川博通、小野寺浩、飯塚江津子、宮西武史」
- ^ 東宝ゴジラ会 2010, pp. 178–186, 「第二章 円谷組スタッフインタビュー INTERVIEW13 黒川博通、小野寺浩、飯塚江津子、宮西武史」
参考文献
編集- 東宝ゴジラ会『特撮 円谷組 ゴジラと東宝特撮にかけた青春』洋泉社、2010年10月9日。ISBN 978-4-86248-622-6。