鹿島 重正(かしま しげまさ[1]1816年 - 1857年[1])は、伯耆国米子(現・鳥取県米子市)の商人歌人下鹿島家3代目。次助と称する[1]

人物

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嘉永年間に、米子城四重が腐朽して改築が必要になった時、本家とともにその費用を負担して再建する[1]。翠の屋と号し、和歌をよくする[1]加納諸平編『類題鰒玉集』4編に名がみえる[2]。『鰒玉集作者姓名録』3編は重正が編集した[1]。墓所は米子市寺町の心光寺[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『鳥取県大百科事典』169頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月25日閲覧。
  2. ^ 『類題和歌鰒玉集 上巻(歌学全集 第4-6編)』55頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年9月25日閲覧。

参考文献

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  • 加納諸平編『類題和歌鰒玉集 上巻(歌学全集 第4-6編)』交盛館、1894年。
  • 新日本海新聞社鳥取県大百科事典編集委員会編『鳥取県大百科事典』新日本海新聞社、1984年。