鷹司師平
鎌倉時代から南北朝時代の公卿、廷臣。鷹司家6代。母は中将長平の娘。従一位・関白、右大臣(北朝)。勅撰集『風雅和歌集』『新拾遺和歌集』に2首入集。後村上天皇出仕は正平一統時。
鷹司 師平(たかつかさ もろひら)は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての公卿。鷹司家6代当主。
時代 | 鎌倉時代 - 南北朝時代(北朝) |
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生誕 | 応長元年(1311年) |
死没 | 文和2年8月6日(1353年9月4日) |
官位 | 従一位、関白、右大臣 |
主君 |
後醍醐天皇→光厳天皇→後醍醐天皇→光明天皇→崇光天皇→(後村上天皇)→後光厳天皇 恒良親王(春宮職) |
氏族 | 鷹司家 |
父母 |
父:鷹司冬平、母:中将長平の娘 養父:鷹司冬教(実叔父) |
妻 | 洞院吉子(洞院公賢の娘) |
子 | 冬通 |
特記 事項 | 後村上天皇出仕は正平一統時 |
官職歴
編集- 正中2年12月30日(1326年2月3日) - 正中3年2月19日(1326年3月23日) 右近衛少将
- 正中3年2月19日(1326年3月23日) - ? 右近衛中将
- 嘉暦2年3月24日(1327年4月16日) - 嘉暦3年3月16日(1328年4月26日) 播磨権守
- 嘉暦3年3月16日(1328年4月26日) - 嘉暦4年6月28日(1329年7月25日) 権中納言
- 嘉暦4年6月28日(1329年7月25日) - 建武4年7月12日(1337年8月8日) 権大納言
- 元弘4年正月23日(1334年3月7日) - 建武3年10月10日(1336年11月13日) 春宮大夫(恒良親王)
- 建武3年3月2日(1336年4月13日) - 暦応元年10月19日(1338年12月1日) 右近衛大将
- 建武4年7月12日(1337年8月8日) - 暦応2年12月27日(1340年1月26日) 内大臣
- 暦応2年12月27日(1340年1月26日) - 康永2年3月27日(1343年4月22日) 右大臣
- 康永2年4月10日(1343年5月4日) - 貞和2年2月29日(1346年3月22日) 関白
位階歴
編集系譜
編集参考文献
編集- 『公卿補任』
公職 | ||
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先代 九条道教 |
関白(北朝) 1342 - 1346 |
次代 二條良基 |
先代 九条道教 |
右大臣(北朝) 1340 - 1343 |
次代 二條良基 |
先代 一条経通 |
内大臣(北朝) 1337 - 1340 |
次代 堀川具親 |
先代 東宮職設置(恒良親王立太子) |
春宮大夫(恒良親王) 1334 - 1336 |
次代 東宮職廃止(恒良親王廃嫡のため) |
軍職 | ||
先代 九条道教 |
右近衛大将(分裂前→北朝) 1336 - 1338 |
次代 堀川具親 |