鶴見橋商店街
鶴見橋商店街(つるみばししょうてんがい)は大阪市西成区の国道26号線花園町付近から西の阪神高速道路15号堺線津守出入口付近まで東西約1kmに延びる商店街。昔からの店舗が多いが、店舗数は減少傾向にある。
概要
編集鶴見橋商店街は約100mおきに区切りがあり、東の1番街から西の8番街まで続いている(旧町名・鶴見橋通1丁目~8丁目にちなむ)。以前は日本で2番目に長い商店街として数えられていたこともある(一番長い商店街は大阪市北区の天神橋筋商店街)。
鶴見橋とは、西端の8番街の先に流れていた十三間堀川(現在の阪神高速道路15号堺線。阪神高速道路建設のため1960年代に埋め立てられた)に架かっていた橋の名前。1909(明治42)年に大日本紡績(現・ユニチカ)木津川工場が建設された際に工場近くに架けられ、当時は鶴の飛来がよく見られたことから、地元の住民が「鶴見橋」と命名した。
商店街の西は阪神高速道路を越えて津守商店街、東は国道26号線を越えて花園本通商店会にそれぞれ繋がっている。
大衆演劇の鈴成座が商店街中ほどにあり、花園町駅・萩ノ茶屋駅からのアクセスルートとなっている。アーケードに鈴成座の案内垂れ幕がかかり、商店街の店舗で劇場前売り券も発売していたが、現在は終売。西成高校の通学路の一つでもある。国籍問わず、外国人もよく利用している。
歴史
編集1909(明治42)年に大日本紡績木津川工場が操業を開始し、鶴見橋に従業員向け社宅が建てられたことに始まる。
昭和初期には商店街が形成され、南海鉄道の萩ノ茶屋駅を利用する木津川工場の従業員の通勤路、社交場となっていく。[1]
1927(昭和2)年に阪堺電鉄(後に大阪市電三宝線)の鶴見橋通駅、1942(昭和17)年に大阪市営地下鉄四つ橋線の花園町駅が開業するなど、交通の便がよくなったことで遠方からも買い物客が増え、心斎橋筋商店街・天神橋筋商店街と並ぶ「大阪三橋」と称されるほど発展した。
かつては、その豊富な店舗構成から「横に長い百貨店」とも称された。
1945(昭和20)年の大阪大空襲で大きな被害を受けた。日活直営の「鶴見日活」や「鶴見橋第一映劇」など、映画館も多く点在したが、現在はすべて廃館となった。1960(昭和35)年から1962(昭和37)年にかけて、1番街から8番街まで順次アーケードが設置され、商店街の雰囲気は一新したが、木津川工場の撤退や靴・鞄をはじめとする皮革産業の衰退、周辺人口の高齢化もあり、往時の人出は失われたまま、今日に至っている。
2003(平成15)年4月になにわ筋が西成区梅南2丁目交差点まで延伸したことで、5番街と6番街が分断された。そのため、「鶴見橋2丁目交差点」に鶴をイメージしたサークル状のモニュメントを設置し、5番街と6番街を視覚的に一体化するようにイメージした。後に「鶴見橋商店街」バス停も設置された。
店舗
編集かつては、遅くまで営業している商店街として有名だったが、オイルショックによる電気料金高騰のため、営業時間は短くなり、現在もそのままである(商店主の高齢化が進んでいることも原因の一つ)。
1980年代以前(概ね昭和の時代)は、前記のように1~3番街(勝間街道以東)には靴店・鞄店が多かったが、今では激減し、代わって診療所や薬局、介護サービスの事業所が増えるなど、地域住民の高齢化を反映している。
最近は、フリーマーケットやイベントスペースを提供するなど、新規顧客の獲得を図っている。
- 商店街にある大型商業店舗
商店街の現状
編集正月三が日の縁日は地元の子供のお楽しみとなっている。
- 商店街振興組合ごとのイベント
- 2番街:色々なイベントを行っている。
- 4番街:2005年から関西の学生アート団体「アートジャック実行委員会」によるシャッターペイントが行われ、毎年、夏と冬にはアートイベントが開催されている。
- 6番街:毎月6日に行われる6DAYというイベントがあった。
その他
編集元南海・ダイエーホークスの香川伸行はこの付近の出身である。
交通アクセス
編集〔1番街側〕
〔5・6番街〕
〔8番街側〕
脚注
編集- ^ 西成の歴史を語る 鶴見橋商店街 大松 松本悦二 http://www.youtube.com/watch?v=JZyLNnBV7Nc