鵜飼郁次郎
鵜飼 郁次郎(うかい いくじろう、1855年9月2日(安政2年7月21日[1][2]) - 1901年(明治34年)9月27日[2])は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。
経歴
編集佐渡国(現・新潟県佐渡市)出身[1][2]。1876年、新潟師範学校卒。卒業後は東京府雇、新潟師範学校教員、中学校教諭、新潟県会議員となる[2]。また、雑誌「回天」を発行する[2]。
1890年の第1回衆議院議員総選挙において新潟9区から自由倶楽部公認で立候補して初当選する[3]。1892年の第2回衆議院議員総選挙では独立俱楽部から立候補して再選した[4]。1894年の第3回衆議院議員総選挙では国民協会から立候補して落選した[5]。1901年に死去した。
脚注
編集参考文献
編集- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。