魏尚
魏 尚(ぎ しょう、生没年不詳)は、中国の前漢のときに北方辺境の防衛に尽くした地方官である。右扶風槐里県の人[1]。雲中郡の郡守として匈奴を防ぎ、いったんは罷免されたが文帝14年(紀元前166年)に元に復帰した。
略歴
編集雲中守であった魏尚は、軍の市にかけた税をすべて士卒に分け与え、自分の銭で5日に1度牛を殺して賓客・軍吏・舎人に饗した。そのため匈奴は雲中郡を避けた。一度侵入があったが、魏尚は軍勢を率いて匈奴を撃破し多くを殺した。功績を報告するときに敵の首の数を6つ間違えたため、爵を削られ、罰作に服した[3]。
文帝14年(紀元前166年)に匈奴が安定郡朝那県から侵入したとき[4]、事態を憂えた文帝に問われた馮唐は、上の事情を話し、士卒に対する罰が過剰だと説いた。文帝は即座に魏尚を赦し、ふたたび雲中守とした[5]。
脚注
編集- ^ 班固『漢書』張馮汲鄭伝第20。小竹武夫訳『漢書』5(列伝II)、筑摩書房(ちくま学芸文庫)、1998年、64頁
- ^ 司馬遷著、小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳『史記列伝』3、岩波書店(岩波文庫)、1975年、192頁注19。
- ^ 『史記』張釈之馮唐列伝第42。岩波文庫版『史記列伝』3、188-189頁。『漢書』張馮汲鄭伝第20。ちくま学芸文庫版『漢書』5、63頁。
- ^ 『史記』匈奴列伝第50。岩波文庫版『史記列伝』4、43頁。『漢書』匈奴列伝第64上。ちくま学芸文庫版『漢書』7、559頁。
- ^ 『史記』張釈之馮唐列伝第42。岩波文庫版『史記列伝』3、188-189頁。『漢書』張馮汲鄭伝第20。ちくま学芸文庫版『漢書』5、62-64頁。