高田静雄
高田 静雄(たかだ しずお、1909年(明治42年)3月5日 - 1963年(昭和38年)12月10日)は、日本の砲丸投選手、写真家。
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選手情報 | ||||
フルネーム | 高田 静雄 | |||
国籍 | 日本 | |||
種目 | 砲丸投 | |||
生年月日 | 1909年3月5日 | |||
生誕地 | 日本 広島県広島市 | |||
没年月日 | 1963年12月10日(54歳没) | |||
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経歴・人物
編集広島県広島市出身[1]。旧制広陵中学校中退[2]。日本陸上競技選手権大会では、1927年から1935年までの間に砲丸投げで6回優勝[3]。1934年(昭和9年)に大連で開催された日米対抗陸上競技大会において14m13の日本記録を樹立した[2]。この記録は1953年まで保持された[1]。通称「砲丸王」と呼ばれた[1]。
1936年ベルリンオリンピックに砲丸投げで出場したが予選で失格[4]。
1945年(昭和20年)8月6日、広島市への原子爆弾投下の際、爆心地から約680メートルの中国配電(現中国電力)本店で被爆[1]。戦後、写真家となり、1959年(昭和34年)に「聖なる道」で全日本写真サロン特選、1960年ローマオリンピックのスポーツ写真展で入賞した[2]。1963年(昭和38年)被爆の後遺症による白血病のため死去[4]。
脚注
編集- ^ a b c d 被爆オリンピアンの視点 砲丸投げ故高田静雄さん撮影 26日から東京など巡回展 中国新聞 ヒロシマ平和メディアセンター、2018年7月17日
- ^ a b c “20世紀日本人名事典”. Kotobank. 朝日新聞社. 2019年10月11日閲覧。
- ^ 男子砲丸投 過去の優勝者・記録|第98回日本陸上競技選手権大会
- ^ a b 卜部匡司, 曾根幹子「日本人戦没オリンピアン名をめぐる混乱とその真相 : ベルリンに届けられた大島鎌吉の作成名簿更新の試み」『広島国際研究』第22巻、広島市立大学国際学部、2016年11月、117-130頁、CRID 1050015111530412928、ISSN 1341-3546。
関連文献
編集- 曾根幹子「「戦没オリンピアン」をめぐる調査と課題 ―広島県出身選手を事例に―」『広島市公文書館紀要』第32号、2020年、1-13頁。
- 表1 日本人戦没オリンピアン(2020年1月末日現在)(pp.9-10)