高津 時貞(たかつ ときさだ)は、江戸時代前期の武士本姓藤原氏で、五摂家の一つ鷹司家の末裔とされるが詳細は不明。醍醐家諸大夫を務めた[1]

 
高津時貞
時代 江戸時代前期
生誕 寛永10年(1633年
死没 元禄15年7月2日1702年7月29日
官位 正五位下大膳大夫
幕府 江戸幕府
氏族 鷹司家高津氏
父母 父:鷹司冬頼
高津時芳
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概要

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地下家伝』によると、時貞の父は鷹司冬頼(冬良とするものもあり、原文では武士鷹司紀伊守藤原冬頼と記される)とされる。元禄15年(1702年)7月4日に病気のため勅許により正五位下大膳大夫に叙任されており、翌日に70歳で死去した[2]

官歴

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※日付=旧暦

  • 延宝6年(1678年
    • 10月4日 - 叙従六位下、任主殿助
  • 天和3年(1684年
    • 12月27日 - 叙従六位上
  • 元禄3年(1690年
    • 7月10日 - 叙正六位下
  • 元禄7年(1695年
    • 12月25日 - 叙従五位下
  • 元禄13年(1701年
    • 12月25日 - 叙従五位上
  • 元禄15年(1702年
    • 7月4日 - 叙正五位下、任大膳大夫

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 国文学資料研究館「地下家伝・芳賀人名辞典データベース[1]
  2. ^ 国文学資料研究館「地下家伝・芳賀人名辞典データベース[2]

関連項目

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