高木成太
髙木 成太(たかき なりた、1977年4月5日 - )は、長崎県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
愛称 | ナリ、ナリタ | |||||
カタカナ | タカキ ナリタ | |||||
ラテン文字 | TAKAKI Narita | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1977年4月5日(47歳) | |||||
出身地 | 長崎県 | |||||
身長 | 174cm | |||||
体重 | 65kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1993-1995 | 国見高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1996-1997 | ブレイズ熊本 | |||||
1998 | ヴェルディ川崎 | 0 | (0) | |||
1999-2003 | 横浜FC | 102 | (8) | |||
2002 | → 東京ヴェルディ1969 | 14 | (0) | |||
2005 | FCホリコシ | 19 | (1) | |||
2006 | FC岐阜 | 6 | (0) | |||
2006 | M.I.E.ランポーレFC | 0 | (0) | |||
2009-2010 | NSP CLUB | |||||
2011-2014 | FC鈴鹿ランポーレ | |||||
通算 | 141 | (9) | ||||
監督歴 | ||||||
2010-2014 | FC鈴鹿ランポーレ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
略歴
編集1993年長崎県立国見高校に入学。全国高等学校サッカー選手権大会に2度(第73回 (1994年)、第74回 (1995年))出場したが、第73回は3回戦、第74回は2回戦で敗退した。なお、同級生に船越優蔵、松本磨、百武義成などがいる。
ブレイズ熊本所属時にASAYANのJリーガーオーディションで落選したが、これがきっかけのひとつとなりヴェルディ川崎に入団した[1]。
横浜FC草創期のメンバーで、JFLからJ2への昇格を果たした時の中心選手。2005年のアルテ高崎所属時には、天皇杯3回戦で横浜FCと三ツ沢球技場で対戦した際に横浜FCサポーターから大きなブーイングを受けた。また、試合終了後には三浦知良とユニフォーム交換もしている[2]。
FC岐阜所属時の2006年12月16日、自身の公式ファンサイトにおいてFC岐阜を退団して当時三重県リーグ所属だったM.I.E.ランポーレFCへ移籍し、2007年1月13、14日の東海社会人サッカートーナメント大会を最後に引退することを表明[3]。三重県営鈴鹿スポーツガーデンで行われた東海社会人トーナメントでランポーレの東海社会人サッカーリーグ昇格を果たし、プロ選手としてのキャリアを終了する。なお東海社会人トーナメントの結果は、13日のFCゴール(愛知県1位)は4-0、14日のヤマハ発動機(静岡県1位)は1-0で勝利した[4]。
2007年2月20日横河武蔵野FCユースの監督となったが、同年4月5日(本人の誕生日)監督を辞して、同年6月より墨田区および葛飾区を中心とした総合型スポーツクラブ「NSP FC」の立ち上げに参画。また、2007年度より2010年度まで横浜FCサッカースクール スクールマスターでもあった。
2009年度より東京都リーグ4部所属のNSP FCトップチームでアマチュアとして現役復帰することを表明し[5]、2008年12月14日から同クラブにて東京都北区サッカー協会会長杯の初戦から選手として復帰。優勝をしている[6]。
2010年11月、FC鈴鹿ランポーレの監督に就任し、翌年からの指揮を執ることが発表された。選手としても登録されている。2012年10月、就任2年目にして東海リーグを制す。開幕戦から1度も首位に立つことなく最終戦にFC岐阜SECONDに逆転勝利し、逆転優勝した[7]。
2014年12月、4年間務めたFC鈴鹿ランポーレの監督を退任[8]。その後はFC鈴鹿ランポーレの強化部長を務めていたが、2015年2月に退団が発表された[9]。
2015年4月投開票の鈴鹿市議会議員選挙に立候補し[10]、1,293票を得票したが落選した[11]。2016年4月からは東京23FC U-18チームの監督に就任している[12]。
所属クラブ
編集個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1996 | B熊本 | 九州 | - | ||||||||
1997 | - | ||||||||||
1998 | V川崎 | 29 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1999 | 横浜FC | 14 | JFL | 17 | 0 | - | 1 | 0 | 18 | 0 | |
2000 | 20 | 5 | - | 1 | 0 | 21 | 5 | ||||
2001 | J2 | 42 | 2 | 4 | 0 | 4 | 2 | 50 | 4 | ||
2002 | 東京V | 20 | J1 | 14 | 0 | 6 | 1 | 1 | 0 | 21 | 1 |
2003 | 横浜FC | 7 | J2 | 23 | 1 | - | 0 | 0 | 23 | 1 | |
2005 | ホリコシ | 2 | JFL | 19 | 1 | - | 3 | 0 | 22 | 1 | |
2006 | 岐阜 | 3 | 東海1部 | 6 | 0 | - | 0 | 0 | 6 | 0 | |
2006 | M.I.E. | 三重県1部 | 0 | 0 | - | ||||||
2009 | NSP | 14 | 東京都4部 | - | - | ||||||
2010 | - | - | |||||||||
2011 | 鈴鹿 | 33 | 東海1部 | - | |||||||
2012 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 14 | 0 | 6 | 1 | 1 | 0 | 21 | 1 | |
日本 | J2 | 65 | 3 | 4 | 0 | 4 | 2 | 73 | 5 | ||
日本 | JFL | 56 | 6 | - | 5 | 0 | 61 | 6 | |||
日本 | 東海1部 | 6 | 0 | - | 0 | 0 | 6 | 0 | |||
日本 | 九州 | - | |||||||||
日本 | 三重県1部 | 0 | 0 | - | |||||||
総通算 | 10 | 1 |
脚注
編集- ^ “高木成太とは”. NSPクラブブログ. 2009年1月14日閲覧。
- ^ “偉大なカズ選手。”. 縦横無尽(高木成太オフィシャルブログ) (2005年10月10日). 2005年10月10日閲覧。
- ^ “発表します”. 縦横無尽(高木成太オフィシャルブログ) (2006年12月16日). 2006年12月16日閲覧。
- ^ “歓喜と惜別”. 縦横無尽(高木成太オフィシャルブログ) (2007年1月17日). 2007年1月17日閲覧。
- ^ “現役復帰”. 縦横無尽(高木成太オフィシャルブログ) (2008年12月10日). 2008年11月10日閲覧。
- ^ “NSPサッカークラブ”. 縦横無尽(高木成太オフィシャルブログ) (2009年2月22日). 2009年2月22日閲覧。
- ^ “クラブ概要”. FC鈴鹿ランポーレ. 2015年4月29日閲覧。
- ^ 『髙木成太監督 退任のお知らせ』(プレスリリース)FC鈴鹿ランポーレ、2014年12月15日 。2016年9月17日閲覧。
- ^ 『髙木成太氏 強化部長退任のお知らせ』(プレスリリース)FC鈴鹿ランポーレ、2015年2月6日 。2016年9月17日閲覧。
- ^ “元Jリーガー高木氏、鈴鹿市市議選立候補へ”. スポーツ報知 (2015年3月5日). 2015年4月29日閲覧。
- ^ “鈴鹿市議選”. 中日新聞. 2015年4月29日閲覧。
- ^ 『東京23FC U-18高木成太監督就任のお知らせ』(プレスリリース)東京23フットボールクラブ、2016年4月12日 。2016年9月17日閲覧。
- ^ 『高木成太選手 期限付き移籍のお知らせ』(プレスリリース)横浜FC、2002年1月20日。オリジナルの2005年4月8日時点におけるアーカイブ 。2018年8月18日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 高木成太 - WorldFootball.net
- 高木成太 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 高木成太 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 高木成太 - J.League Data Siteによる選手データ