高島照治
高島 照治(たかしま てるじ[1]、1924年1月18日 - 2006年3月17日[2])は、日本の農業家、政治家。主な役職に群馬県議会議長、群馬県議会議員、嬬恋村議会議員、日本ホルスタイン登録協会会長など。
略歴
編集大正13年(1924年)、群馬県草津町に生まれる[1]。長野県小諸商業高等学校卒業[1]。
開拓農家として
編集太平洋戦争終結後復員すると、1946年(昭和21年)に嬬恋村(群馬県吾妻郡)に入植し[3][1][2]、仙之入開拓農協(全国開拓農業協同組合連合会参照)を設立して組合長に就任した[1]。
群馬県の畜産に関する様々な団体の要職を歴任したほか、1984年(昭和59年)からは日本ホルスタイン登録協会の会長を務め、牛の個体識別システムの導入に携わった[3]。また、国と県のパイロット事業として1400ヘクタールの農地造成に功績があり[1]、1979年(昭和54年)には酪農への貢献により黄綬褒章を受章した[3]。
政治家として
編集昭和30年(1955年)に嬬恋村の村議会議員に当選。昭和38年(1963年)からは8期連続で群馬県議会議員を務め、県議会副議長(任期:1976-1977年[4])、議長(任期:1983-1984年[4])、自由民主党群馬県支部連合会幹事長などを歴任した[1]。
この間、国道145号の全面舗装化を実現させた[1]。嬬恋村と長野原町には独立した高校がなく、群馬県立中之条高等学校の分校があるのみだったのを、1968年(昭和43年)に群馬県立嬬恋高等学校・群馬県立長野原高等学校として独立させるのに貢献した[1]。
このほか八ッ場ダム問題、下水道の集中処理施設設置問題[注 1]、県議会の定数削減問題などにあたった[1]。一連の行政への功績が認められ、1985年(昭和60年)に藍綬褒章、1996年(平成8年)に勲三等旭日章を受章した[3]。
年表
編集- 1946年(昭和21年) - 群馬県吾妻郡嬬恋村に入植[3][2]
- 1955年(昭和30年) - 嬬恋村村議会議員に初当選[1]
- 1963年(昭和38年) - 群馬県議会議員に初当選[3]
- 1970年(昭和45年) - 日本ホルスタイン登録協会理事に就任[3]
- 1973年(昭和48年) - 日本ホルスタイン登録協会監事に就任[3]
- 1976年(昭和51年) - 日本ホルスタイン登録協会副会長に就任[3]。群馬県議会副議長に就任[4]
- 1980年(昭和55年) - 自由民主党群馬県支部連合会幹事長に就任[2]
- 1983年(昭和58年) - 群馬県議会議長に就任[4]
- 1984年(昭和59年) - 日本ホルスタイン登録協会第8代会長に就任[3]
- 1996年(平成アジアで初めて世界ホルスタインフリージアン会議を開催する[2] 8年) -
- 2004年(平成16年) - 日本ホルスタイン登録協会会長を辞任[3]
- 2006年(平成18年) - 虚血性心不全のため群馬県前橋市内の病院にて死去。享年82。[2]
主な役職
編集主な受賞歴
編集人物
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i j k 『群馬新百科事典』p483「高島照治」
- ^ a b c d e f g h i j 一般社団法人日本ホルスタイン登録協会、平成18年(2006年)3月20日、「高島照治氏(前日本ホル協会長)逝去」 2019年2月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 一般社団法人日本ホルスタイン登録協会、平成16年(2004年)7月20日、「全頭登録を目標に」 2019年2月9日閲覧。
- ^ a b c d 群馬県議会、歴代正副議長一覧 2019年2月9日閲覧。
- ^ 群馬県、県土整備部下水環境課、県央処理区 2019年2月9日閲覧。
書誌情報
編集- 『群馬新百科事典』,上毛新聞社,2008年,ISBN 9784880589886