高倉盛宥
江戸時代中期の弘前藩家老。高倉盛任の嫡男。高倉氏11代。
高倉 盛宥(たかくら もりひろ)は、江戸時代中期の弘前藩家老。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保13年(1728年) |
死没 | 宝暦10年(1760年) |
別名 | 五兵衛 |
主君 | 津軽信著→信寧 |
藩 | 陸奥弘前藩 |
氏族 | 二本松氏流高倉氏 |
父母 | 高倉盛任 |
妻 | 大道寺繁糺娘 |
子 | 盛有 |
略歴
編集弘前藩家老・高倉盛任の嫡男として誕生。享保17年(1732年)、父・盛任の死により、5歳で家督800石を相続し、留守居組となる。延享3年(1746年)に筒足頭与力預かり、宝暦5年(1775年)手廻三番組頭、用人、宝暦8年(1758年)には家老となった。
宝暦10年(1760年)、病没。
参考文献
編集- 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社