高倉公朋
高倉 公朋(たかくら きんとも、1932年〈昭和7年〉10月4日[1] - 2019年〈令和元年〉5月2日)は、日本の医学者。専門は脳神経外科学。医学博士。東京大学名誉教授。東京女子医科大学名誉教授、元学長。
たかくら きんとも 高倉 公朋 | |
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生誕 |
河鰭(名は不詳) 1932年10月4日 大日本帝国・東京府 |
死没 |
2019年5月2日(86歳没) 日本 |
墓地 | 多磨霊園 |
住居 | 日本 |
国籍 |
大日本帝国 日本 |
出身校 | 東京大学医学部 |
職業 | 医学者 |
活動期間 | ? - 2019年 |
時代 | 昭和時代中期 - 令和時代初期 |
活動拠点 | 日本 |
肩書き |
東京大学名誉教授 東京女子医科大学名誉教授 |
配偶者 | 高倉庸子(草野博志の娘) |
子供 |
高倉百々子 高倉朋文 高倉理利子 高倉朋和 |
親 |
実父:河鰭実英 養父:高倉篤麿 |
受賞 | 日経BP技術賞(医療・バイオ部門)(2000年) |
旧姓は河鰭。河鰭実英の三男として生まれる[1]。東京出身[2]。学習院高等科時代に高倉篤麿(元・子爵)の養子となる[3]。
略歴
編集- 1939年(昭和14年)- 学習院初等科入学[4]
- 1951年(昭和26年) - 学習院高等科卒業(卒業生総代を務める[3])
- 京都大学化学科を経て、東京大学医学部に編入[3]
- 1958年(昭和33年) - 東京大学医学部卒業
- 1963年(昭和38年)3月 - 東京大学より医学博士の学位を授与される
- 学位論文「脳損傷と体液の酵素変動」
- 1968年(昭和43年) - 国立がんセンター脳神経外科医長
- 1981年(昭和56年) - 東京大学医学部教授
- 1992年(平成4年) - 退官 東京女子医科大学教授
- 1993年(平成5年) - 東京大学名誉教授
- 1997年(平成9年) - 東京女子医科大学学長
- その後、東京福祉大学副学長
受賞等
編集- 日経BP技術賞(医療・バイオ部門)(2000年(平成12年))
- 「低侵襲脳外科手術戦略システムの開発」
論文
編集- 国立情報学研究所収録論文 国立情報学研究所.2010-05-14閲覧。
学会および社会における活動
編集- 日本学術会議会員
- 日本癌学会名誉会員
- 日本癌治療学会名誉会員
- 日本間脳下垂体腫瘍学会名誉会員
- 日本シミュレーション外科学会名誉会員
- 日本神経病理学会名誉会員
- 日本生体磁気学会名誉会員
- 日本定位・機能神経外科学会名誉会員
- 日本脳腫瘍学会名誉会員
- 日本脳腫瘍病理学会名誉会員
- 日本脳循環代謝学会名誉会員
- 日本脳神経外科光線力学研究会顧問
- 日本脳神経血管内治療学会名誉会員
- 日本脳神経超音波学会名誉会員
- 日本脳卒中学会名誉会員
- 日本脳卒中の外科学会名誉会員
- 日本脳ドック学会名誉会員
- 日本バイオセラピィ学会名誉会員
- 日本VR医学会顧問
- 日本分子脳神経外科学会顧問
- 日本予防医学リスクマネージメント学会名誉会員
- 日本老年医学会特別会員
- 財団法人脳科学・ライフテクノロジー研究所評議員
- 財団法人日本国際医学協会理事
- 財団法人ライフサイエンス振興財団評議員
- 財団法人日米医学医療交流財団理事
- 財団法人日本脳神経財団理事長
- 財団法人日中医学協会理事
- 標準医療情報センター理事
- 産官学先端科学融合推進機構理事長
- 医歯薬桜友会会長
- 在日新疆医科大学校友会名誉会長
脚注
編集- ^ a b 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年、8頁。
- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.373
- ^ a b c 医歯薬桜友会会報第12号
- ^ “桜友会90周年企画 PhotoGallery » 学習院と私 » 四十年後の手紙”. 2022年10月22日閲覧。