東京女子医科大学
東京女子医科大学(とうきょうじょしいかだいがく、英語: Tokyo Women's Medical University)は、東京都新宿区河田町8番1号に本部を置く日本の私立大学。1900年創立、1950年大学設置。大学の略称は女子医大、女子医、TWMU。
東京女子医科大学 | |
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総合研究棟 | |
大学設置 | 1950年 |
創立 | 1900年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人東京女子医科大学 |
本部所在地 |
東京都新宿区河田町8番1号 北緯35度41分52.9秒 東経139度43分14.5秒 / 北緯35.698028度 東経139.720694度座標: 北緯35度41分52.9秒 東経139度43分14.5秒 / 北緯35.698028度 東経139.720694度 |
学生数 | 1,436 |
キャンパス | 河田町(東京都新宿区) |
学部 |
医学部 看護学部 |
研究科 |
医学研究科 看護学研究科 |
ウェブサイト | http://www.twmu.ac.jp/ |
概要
編集女性医師・吉岡彌生が1900年(明治33年)に創設した「東京女医学校」を前身とし、世界的にも珍しい女子大学としての医科大学となっている(日本でも唯一、大学院は男女共学)。吉岡の母校の濟生學舎(現:日本医科大学)が当時、「女性を入れると風紀が乱れる」と女子学生の入学を拒否し始めたことに反発した形で設立した[1]。
附属機関として東京女子医科大学病院のほか、がんセンター、先端生命医科学センターなどがある。
早稲田大学との間で医工連携における協定を締結し、共同研究施設や共同専攻大学院などを開設している。
沿革
編集- 1900年12月5日 - 東京至誠医院の一室に東京女医学校創立。
- 1903年 - 東京女医学校は麹町区飯田町の東京至誠医院内から牛込区市ヶ谷河田町の陸軍獣医学校跡地に移転。
- 1908年 - 河田町に東京女医学校附属病院を設置。
- 1910年 - 同窓会として「校友会」を設立。後の至誠会の前身となる。
- 1912年 - 東京女子医学専門学校に昇格(通称「東京女子医専」)。
- 1920年 - 東京女子医学専門学校は文部省指定学校となり、卒業生は無試験で医師免許取得ができるようになった。
- 1923年 - 校友会は「至誠会」となり、「至誠会病院」を開院。
- 1929年 - 至誠会が北多摩郡千歳村に「至誠会病院千歳村分院」を開設(現在の至誠会第二病院)。
- 1934年 - 荒川区尾久に東京女子医学専門学校尾久病院を設置(現在の東京女子医科大学東医療センター)。
- 1947年 - 東京女子医科大学予科(大学令による)を開設。
- 1950年 - 東京女子医科大学医学部(大学令による)を開設。
- 1952年 - 東京女子医科大学(学校教育法による)を設置。
- 1955年 - 日本心臓血圧研究所(後の心臓病センター)開設。
- 1965年 - 中山恒明の尽力により、東京女子医科大学消化器病センターが設立される。
- 1969年 - 看護短期大学を設置。
- 1998年 - 看護学部設置。
- 2001年 - 看護短期大学閉校。
- 2006年 - 千葉県八千代市に東京女子医科大学附属八千代医療センターを設置
- 2008年 - 先端生命医科学センターを開設[2]。
- 2008年 - 東京女子医科大学隣接地に早稲田大学との連携施設「東京女子医科大学・早稲田大学連携先端生命医科学研究教育施設」(通称 TWIns(ツインズ))を開設[3]。
- 2010年 - 早稲田大学との大学院共同教育課程(共同先端生命医科学専攻)開設。
- 2017年 - 臨床ゲノムセンター開設。
- 2022年
- 東京女子医科大学東医療センターを東京都足立区江北四丁目22,23番地へ移転[4]。東京女子医科大学附属足立医療センターが開院する。
- 掛川キャンパスを廃止し、解体後無償貸与していた掛川市へ返還[5]。
基礎データ
編集所在地
編集教育および研究
編集組織
編集- 学部
- 研究科
- 医療施設
- 東京女子医科大学病院
- 附属足立医療センター
- 附属八千代医療センター
- 附属成人医学センター
- 附属東洋医学研究所
- センター
- がんセンター
- 病院部門
- 研究部門
- 研究施設
- 先端生命医科学研究所/TWIns
- 統合医科学研究所
- 実験動物研究所
- 学習施設
- 図書館
- 統合教育学習センター
- 女性生涯教育支援センター
- 女性医療人キャリア形成センター
- 専門学校
- 東京女子医科大学看護専門学校
研究
編集21世紀COEプログラム
編集- 2003年
- 医学系
- 再生医学研究センター(細胞シート工学を基盤とする臓器再生医療の発展)
グローバルCOEプログラム
編集- 2009年
- 学際、複合、新領域
- 再生医療本格化のための集学的教育研究拠点
大学関係者一覧
編集施設
編集キャンパス
編集河田町キャンパス
編集- 使用学部:医学部、看護学部
- 使用研究科:医学研究科、看護学研究科
- 敷地面積:140,103.15 ㎡
- 最寄り駅
掛川キャンパス(廃止)
編集1998年、旧大東町が購入した敷地に、誘致に応じた形で無償貸与を受けて、大東キャンパスとして開設。看護学部1年次で使用されていたが、2020年4月より生涯健康総合支援センターが設置となり、2022年には廃止、解体工事後2023年に掛川市へ返還される予定。大学創設者の吉岡弥生の市立記念館が隣接している[5]。
静岡掛川キャンパスは、東京女子医科大学の創立者である吉岡弥生(1871年~1959年)の出身地、ゆかりのキャンパスでもあった[6]。
学費
編集東京女子医科大は2021年度の入学生から、6年間の学費が約1200万円上がり、総額で4621万4千円になることを発表した[7][8]。
入学時は、入学金 2,000,000円、授業料(年額)2,800,000円、施設設備費 2,000,000円、実習費(年額) 1,200,000円、
教育充実費(年額) 3,300,000円、委託徴収金 149,000円、 合計 11,449,000円。
2年度以降の納入金は、授業料(年額) 2,800,000円、施設設備費 2,000,000円、実習費(年額) 1,208,000円、教育充実費(年額) 800,000円、委託徴収金 145,000円、合計 6,953,000円。
テレビ番組
編集- 日経スペシャル ガイアの夜明け 「最先端!オーダーメード医療 ~あなただけの治療法 選びます~(2006年6月6日、テレビ東京)[9]。- オーダーメード治療を取材。
関連書籍
編集- 『東京女子医大ガン治療チーム』(著者:猪口修道)(1995年11月20日、講談社)ISBN 4062079313
- 『がん・放射線治療照射法マニュアル 東京女子医大ではこう行っている』(著者:大川智彦 喜多みどり)(1996年10月1日、金原出版)ISBN 430707047X
- 『東京女子医大事件』(著者:平柳利明)(2004年5月25日、新風舎)ISBN 4797443545
- 『〈検証〉東京女子医大病院事件』(著者:鈴木敦秋)(2007年4月20日、講談社)ISBN 4062133229[注 1]
関連文献
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 関係者の実名が含まれるため書籍名を一部省略。
出典
編集- ^ “東京女子医大のブランド力失墜で「早大医学部」誕生の現実味 経営悪化でワセダに"身売り"する日”. プレジデントオンライン 2020/11/18 9:00. 2021年1月28日閲覧。
- ^ “東京女子医科大学”. 東京女子医科大学. 2020年8月4日閲覧。
- ^ “共同先端生命医科学専攻とは | 共同先端生命医科学専攻 - 東京女子医科大学・早稲田大学 -”. www.jointbiomed.sci.waseda.ac.jp. 2020年8月4日閲覧。
- ^ “東京女子医科大学”. 東京女子医科大学. 2022年3月15日閲覧。
- ^ a b 高林和徳 (2022年7月22日). “東京女子医大 掛川キャンパス解体、市に用地返還へ”. 静岡新聞 2022年8月27日閲覧。
- ^ “東京女子医大、創立者ゆかりのキャンパスから撤退へ”. 読売新聞オンライン (2021年5月30日). 2023年6月2日閲覧。
- ^ 井上有紀子 (2020年11月17日). “東京女子医大「学費1200万円アップ」の衝撃 値上げは医師“世襲化”の危惧も〈AERA〉”. AERA dot. (アエラドット). 2023年6月2日閲覧。
- ^ https://www.facebook.com/asahicom+(2020年9月27日).+“東京女子医大、学費1200万円値上げ コロナで経営難:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2023年6月2日閲覧。
- ^ 「最先端!オーダーメード医療 ~あなただけの治療法 選びます~ - テレビ東京 2006年6月6日
関連項目
編集公式サイト
編集- 東京女子医科大学
- 東京女子医科大学病院
- 東京女子医科大学足立医療センター
- 東京女子医科大学八千代医療センター
- 東京女子医科大学医学部同窓会(社団法人至誠会)
- 東京女子医科大学看護系同窓会
- 東京女子医科大学看護学会
- 東京女子医科大学労働組合
- ウィキメディア・コモンズには、東京女子医科大学に関するカテゴリがあります。