馬入堂山城
馬入堂山城(ばにゅうどうざんじょう)は、岡山県倉敷市真備町市場の馬入山にあった日本の城(山城)。別名馬場入道山城。
馬入堂山城 (岡山県) | |
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馬入山 | |
別名 | 馬入城 |
城郭構造 | 連郭式山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 不明 |
築城年 | 不明 |
主な改修者 | 白神果春 |
主な城主 | 白神果春、白神帯刀 |
廃城年 | 天正3年(1575年) |
遺構 | 本丸、出丸、堀、石塁、土塁 |
指定文化財 | 倉敷市史跡文化財 |
位置 | 北緯34度39分41.25秒 東経133度41分35.76秒 / 北緯34.6614583度 東経133.6932667度 |
概要
編集馬入堂山城は、別名を馬場入道山城といい、八代の鬼邑山城と並んで市場の馬入山頂にあった城で、築城年や築城者は不明であるが、旧山陽道や河辺の渡しを間近に見下ろし備中の要所を占める城として、かなりの規模のものであったと伝えられている。
永正6年(1509年)、室町幕府第10代将軍・足利義稙の命により備中に遣わされた上野信孝に伴ってきた一族の白神果春が、曾能郷近郷を知行してこの城に入り、その嫡子・白神帯刀が、備中兵乱ともいわれた天正年中の内紛沙汰に加わることを避けてこの城を下りるまで、二代六十有余年に亘り居城とした。
その後、この城は再び利用されることは無く廃城となり、城址(馬入山)は、嵯峨野村(市場村)の管理となった。
天正3年(1575年)、小早川隆景率いる毛利軍の鬼身城攻撃にあたり、鬼邑山城に穂井田元清が、また馬入堂山城に宍戸隆家が陣を布いたなどという説があるが、これについては、実際の立地や地形を何ら承知しない後人が史実に絡めて脚色した虚説であるともいわれており、事実は未詳である。
観光的な役割
編集最寄駅
編集参考文献
編集- 備中府志、備中古城記、備中一乱記、吉備郡史、真備町史、郷土史書、ほか
- 現存史跡