首藤 陸三(すどう りくぞう、嘉永4年3月15日[1]1851年4月16日) - 大正13年(1924年5月31日)は、日本の衆議院議員立憲改進党進歩党憲政党憲政本党立憲同志会)。

首藤陸三

経歴

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陸奥国登米郡登米町(現在の宮城県登米市)出身。1868年明治元年)、東京に出て、尺振八共立学舎英学を学んだ[1]1872年(明治5年)、新潟県の英語教授となり、翌年から小倉県育徳学校教授に就任した[1]1875年(明治8年)、大蔵省翻訳課に出仕し、1877年(明治10年)には東京府書籍館に転じた[1]。翌年より宮城県属になり、学務課長心得と仙台師範学校校長を兼ねた[1]1880年(明治13年)に官を辞した後は、宮城県会議員に当選し、副議長に選出された。1882年(明治15年)、立憲改進党が結成されると、これに参加し、仙台に東北倶楽部を創設した[2]。また1886年(明治19年)には宮城女学校の設立に加わった[3]

1893年(明治26年)、衆議院補欠選挙に当選。以後、当選回数は計9回を数えた。墓所は青山霊園(1イ20-1)

脚注

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  1. ^ a b c d e 『衆議院議員列伝』
  2. ^ 『新選代議士列伝』
  3. ^ 『衆議院議員候補者列伝』

参考文献

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  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。 
  • 山崎謙『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。 
  • 大久保利夫『衆議院議員候補者列伝第二編(帝国名士叢伝)』六法館、1890年。