養老村 (岐阜県)
日本の岐阜県養老郡にあった村
養老村(ようろうむら)は、かつて岐阜県養老郡に存在した村である。
ようろうむら 養老村 | |
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廃止日 | 1954年11月3日 |
廃止理由 |
新設合併 養老村、高田町、広幡村、上多度村、池辺村(一部)、笠郷村、小畑村、多芸村、日吉村、合原村(一部) → 養老町 |
現在の自治体 | 養老郡養老町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 養老郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 19.39 km2. |
総人口 |
3,146人 (1954年) |
養老村役場 | |
所在地 | 岐阜県養老郡養老村石畑字柳橋18-1 |
座標 | 北緯35度18分23秒 東経136度32分33秒 / 北緯35.3065度 東経136.54253度座標: 北緯35度18分23秒 東経136度32分33秒 / 北緯35.3065度 東経136.54253度 |
ウィキプロジェクト |
村名は、養老郡に由来するが、元々は養老の滝に伝えられている「養老孝子伝説」に由来する。
養老町は養老村が町制施行した町と誤解されるが、養老町は高田町、養老村などの養老郡の町村が新設合併した町である。
歴史
編集- 江戸時代末期、この地域は美濃国多芸郡、石津郡であり、天領、大垣藩領であった。
- 1871年(明治4年) -
- 多芸郡喜多村新田と石畑村が合併し、石畑村となる。
- 多芸郡柏尾村と柏尾新田が合併し、柏尾村となる。
- 1878年(明治11年) - 郡区町村編制法施行に伴い、石津郡は上石津郡と下石津郡に分割される。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 多芸郡押越村、明徳村、上方村、五日市村、石畑村、竜泉寺村、白石村、勢至村、柏尾村が合併し、養老村(初代)となる。
- 1897年(明治30年)4月1日[1] - 郡制に基づき多芸郡の一部と上石津郡が合併し、養老郡となる。
- 1897年(明治30年)4月1日
- 1954年(昭和29年)11月3日 - 高田町、広幡村、上多度村、池辺村、笠郷村、小畑村、多芸村、日吉村、合原村の一部と合併し養老町が発足。同日養老村廃止。
小字
編集- 大字明徳
- 板屋海道、河原崎、中島、柳原、(谷口、柏尾道東)
- 大字上方
- 北海道、松ノ木原、稗田、梅ノ木原、岩坂、稗田之下、神明前、桐之木原、北河原、焼田、渕脇、東河原、新田分、天神畑、出口、鬼頭新田、下河原
- 大字五日市
- 大河原、桑ノ木原、上リ戸、柳原、澄田、しつ(氵(さんずい)に一の下に絲と土)畑(濕畑)、宮東、断前、大畝町、下市場
- 大字石畑
- 柳橋、山本、見上田、八反田、溝起、宮代起、野白、金尾起、井口北、瀬古口、溜池、喜多村、中門、戸関、森尾田、北ノ口、関鎮、石田、八郎墳、平木、坂巻、薮ノ内、河戸、山渡瀬、池田、東門、南門、八千代原、庄畑、(鷲巣下)
- 大字竜泉寺
- 早稲田、簗場、大墳、広田、垣ノ内、牛谷、中尾、野畔、溝尻、上河原、村下、外屋敷、北尾、南尾、威徳山
- 大字白石
- 村上、木戸口、北越、口郷、才造畑、中割、北井戸、未新田、辰新田、長割、松原、舟岡、千人墳、京ノ脇、唐谷、村下、滝谷、小谷山、高林、菊水、
- 大字勢至
- 町屋、横平、鍛冶屋町、甚五郎、葉場、江ノ尾、山畑、北畑、留山、草生、行平
- 大字柏尾
- 北野、初畑、北越、花之木段、南代、四番割、中割、谷口、表山、裏山
- 大字沢田
- 道島、向島、大門、中島、内町、井下、吉谷、刎ノ段、堀川、片欠、高野、桜井前、丁田、東段原、境谷、南谷、吉谷、堂谷、宮谷、南山、岩須
- 大字桜井
- 村内、村下、広畑、芝野、中林、平松、坂尻
括弧内は養老郡誌に記載されている小字名。
学校
編集交通機関
編集神社・仏閣
編集観光
編集脚注
編集参考文献
編集- 岐阜県養老郡養老村土地宝典 帝国市町村地図刊行会 著 昭和16年10月18日発行
- 養老郡誌 岐阜日日新聞社 岐阜県郷土資料刊行会 出版 大正14年5月25日初版発行 昭和45年2月6日刊