飾磨市
日本の兵庫県にあった市
飾磨市(しかまし)は、かつて兵庫県に存在していた市である。1946年に姫路市などと合併し、飾磨区にあたる地域となった。
しかまし 飾磨市 | |||
---|---|---|---|
| |||
廃止日 | 1946年3月1日 | ||
廃止理由 |
新設合併 姫路市・飾磨市・飾磨郡白浜町・広畑町・網干町・大津村・勝原村・余部村 → 姫路市 | ||
現在の自治体 | 姫路市 | ||
廃止時点のデータ | |||
国 | 日本 | ||
地方 | 近畿地方 | ||
都道府県 | 兵庫県 | ||
市町村コード | なし(コード導入前に廃止) | ||
面積 | 18.10km2 | ||
総人口 |
35,061人 (国勢調査、1940年) | ||
隣接自治体 | 姫路市、広畑町、白浜町、糸引村 | ||
飾磨市役所 | |||
所在地 | 兵庫県飾磨市 | ||
座標 | 北緯34度48分00秒 東経134度39分57秒 / 北緯34.80011度 東経134.66581度座標: 北緯34度48分00秒 東経134度39分57秒 / 北緯34.80011度 東経134.66581度 | ||
ウィキプロジェクト |
兵庫県内で最も早く消滅した市であった。
概要
編集- 総面積 - 18.10平方キロメートル
- 人口 - 約4万人(1940年(昭和15年)飾磨市発足当初)
歴史
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、飾東郡飾磨津宮町・飾磨津大町・飾磨津天神町・飾磨津須加町・飾磨津東堀町・飾磨津田町・飾磨津御幸町・飾磨津上英加町・飾磨津下英加町・飾磨津亀山町・飾磨津都倉町・細江村・恵美酒村の区域をもって飾磨町が発足。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 所属郡が飾磨郡に変更。
- 1919年(大正8年)4月1日 - 下中島村を編入。町章を定める。
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 津田村を編入。
- 1936年(昭和11年)4月1日 - 英賀保村・高浜村を編入。
- 1938年(昭和13年)4月1日 - 妻鹿町を編入[1]。
- 1940年(昭和15年)2月11日 - 市制施行して飾磨市となる[2]。
- 1946年(昭和21年)3月1日 - 姫路市・飾磨郡白浜町・広畑町・揖保郡網干町・大津村・勝原村・余部村と合併し、改めて姫路市が発足。同日飾磨市廃止[3]。
行政
編集歴代首長
編集特記なき場合『兵庫県市町村合併史 上』による[4]。
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
飾磨町長(官選) | ||||
1 | 下里順 | 1889年(明治22年)5月 | 1897年(明治30年)5月 | |
2 | 高島仁左衛門 | 1897年(明治30年)5月 | 1898年(明治31年)5月 | |
3 | 木村平右衛門 | 1898年(明治31年)5月 | 1906年(明治39年)7月 | |
4 | 早川吉次郎 | 1906年(明治39年)9月 | 1925年(大正14年)3月 | |
5 | 大森英文 | 1925年(大正14年)6月18日 | 1927年(昭和2年)10月 | |
6 | 前川万吉 | 1927年(昭和2年)12月12日 | 1931年(昭和6年)12月 | |
7 | 岡上彦三 | 1931年(昭和6年)12月26日 | 1940年(昭和15年)2月10日 | |
飾磨市長(官選) | ||||
1 | 岡上彦三 | 1940年(昭和15年)4月8日 | 1940年(昭和15年)8月2日 | |
2 | 横尾繁六 | 1940年(昭和15年)11月5日 | 1942年(昭和17年)12月17日 | |
3 | 坂元藤八 | 1943年(昭和18年)3月2日 | 1946年(昭和21年)3月1日 | 廃止 |
町政時の町章
編集市制施行前の飾磨町では、町章が制定されていた。町章は、1919年(大正8年)に下中島村を編入した際の合併祝賀会で定められた。町章の上半分の「×」は、片仮名の「カ」を、中心の縦棒は、平仮名の「し」を表している[5]。この町章は市政施行時にそのまま引き継がれた。
脚注
編集参考書籍
編集- 兵庫県総務部地方課 編『兵庫県市町村合併史 上』兵庫県、1962年 。
- 姫路市史編集室「飾磨市の誕生」『姫路市史』 第13巻上、姫路市〈史料編〉、1994年、559-564頁。