食三田次
出自
編集『古事記』に武内宿禰の子、波美八代宿禰を、波美臣の祖として伝えており[1]、天武天皇13年(684年)11月に、波弥臣に朝臣の姓を賜うとある[2]。
経歴
編集孝謙朝の天平勝宝9歳(757年)聖武上皇の一周忌に、同9歳(757年)5月、川原凡・益田縄手・大蔵家主・土師犬養・土師弟勝・上毛野真人とともに外従五位下に昇叙している。以後、藤原仲麻呂政権で順調に出世したものと思われ、淳仁朝の天平宝字3年(759年)7月、西市正。翌4年(760年)正月、田口大戸・大原継麻呂とともに内位の従五位下に叙せられている。以降の記録は存在せず、藤原仲麻呂の乱における去就も明確ではない。
官歴
編集『続日本紀』による
脚注
編集参考文献
編集関連事項
編集- 播美奥人…同族と思われる。