須田盛永
須田 盛永(すだ もりなが)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武士。
時代 | 戦国時代 - 江戸時代前期 |
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生誕 | 天文11年(1542年) |
死没 | 寛永元年9月24日(1624年11月4日) |
改名 | 盛永→源隆(法名) |
別名 | 右近、右近右衛門 |
墓所 | 長延寺 |
幕府 | 江戸幕府旗本 |
主君 | 武田勝頼、徳川家康 |
氏族 | 須田氏 |
父母 | 父:須田盛義 |
子 | 盛満、広庄、盛守 |
経歴
編集武田勝頼に仕え、武田氏衰退後は徳川家康のもとに仕える。天正11年(1583年)に甲斐国に22貫500文の領地を与えられる。天正18年(1590年)の家康の関東移封後、領地を移される。
子の盛満が家督を継いだ。
系譜
編集父母
編集- 父:須田盛義
子女
編集参考文献
編集- 『寛政重脩諸家譜』第2輯,國民圖書,1923. 国立国会図書館デジタルコレクション 154コマ目 https://dl.ndl.go.jp/pid/1082719/1/154 (参照 2024-07-16)