須ケ谷
須ケ谷(すかや)は、埼玉県上尾市にある町名。現行行政地名は須ケ谷一丁目〜三丁目。住居表示未実施地区[6]。郵便番号は362-0004[3]。
須ケ谷 | |
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北緯36度0分14.38秒 東経139度35分52.87秒 / 北緯36.0039944度 東経139.5980194度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | 上尾市 |
地区 | 上平地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.4376[1] km2 |
人口 | |
• 合計 | 430人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
362-0004[3] |
市外局番 | 048(浦和MA)[4][5] |
ナンバープレート | 大宮 |
座標の場所は須ケ谷集落センターを示す。 |
市の統計などでは上平地区で分類されている。
地理
編集埼玉県の中央地域(県央地域)で、上尾市北東部の大宮台地上に位置され、西端の菅谷との境に原市沼川の流頭があり、緩やかなVの字の低まりとなっている[7]。地区の東側を北足立郡伊奈町寿や小室と隣接し、南側を平塚と隣接する。また、西側は菅谷と隣接し、北側を伊奈町小針新宿と隣接する。地区内中央部を上尾久喜線が東西に通り、伊奈町との境を蓮田鴻巣線やさいたま久喜線が通る。 地区内は全域が市街化調整区域[8]で農地が多い。隣接する伊奈町側は「六道」と通称された古くからの集落があり[9]、住宅地を成している。地内に高見遺跡(県遺跡番号:14-120)が発見され、土器片が発掘されている[8]。
歴史
編集もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡大谷領に属する須ケ谷村であった[10]。古くは隣の菅谷とともにひとつの菅谷村で、文献により須ケ谷村とも菅谷村とも記されていたが[10]、その後須ケ谷村と菅谷村に分村された[10]。菅谷村の西谷に対し東谷とも呼ばれていたと云われていた[10][11]。飛地が中萩村(現小室)や平塚村のうちに存在した[10]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では304石余(田128石余、畑176石余)[12][10]、『元禄郷帳』および『天保郷帳』では67石余であった[10]。化政期の戸数は10軒余で、村の規模は東西6町、南北3町余であった[10][11]。地名は隣の菅谷村と同様に菅が自生する湿地によるものと云われている[10][7]。 1875年(明治8年)の農業産物高は『武蔵国郡村誌』によると米1.82石、大麦50.7石、小麦11.04石、甘藷22575斤であった[13][注釈 1]。
はじめ知行は旗本西尾氏、のちに1602年(慶長7年)立藩して原市藩領となる[10][7]。1618年(元和4年)より西尾氏の移封により上知され幕府領となる[10][7]。なお検地は1630年(寛永7年)に実施[11]。1639年(寛永16年)より一部が岩槻藩領となり[14]、残りの幕府領分はその後、知行は旗本伊藤氏および旗本松下氏の相給となるが[10]、のちに上知され全てが幕府領(代官支配地)となる[10][7]。
- 幕末の時点では足立郡須ケ谷村であった。明治初年の『旧高旧領取調帳』[注釈 2]の記載によると、代官松村忠四郎支配所が管轄する幕府領であった[15][16][10]。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 旧幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1872年(明治5年)3月 - 大区小区制施行により第18区に属す[17][18]。
- 1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。
- 1884年(明治17年)7月14日 - 連合戸長役場制により成立した羽貫村連合戸長役場区域に属す[19]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、須ヶ谷村を含む区域をもって上平村が成立。須ケ谷村は上平村の大字須ケ谷となる[10]。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 町村合併促進法の施行に伴い、上平村が上尾町・平方町・原市町・大石村・大谷村と合併し、新たな上尾町となったことに伴い[20]、上尾町の大字となる。
- 1958年(昭和33年)7月15日 - 上尾町が市制施行され[20]、上尾市の大字となる。
- 1960年(昭和35年)9月1日 - 地内を通る県道が県道67号菖蒲原市大宮線(現県道5号さいたま菖蒲線)、および県道49号上尾久喜線(現県道87号上尾久喜線)に改称される[21]。
- 1987年(昭和62年)1月21日 - 大字須ケ谷、菅谷、平塚、の各一部より須ケ谷一丁目〜三丁目が成立[22]。また、大字須ケ谷が菅谷(五丁目・六丁目)、および平塚の一部となる。これにより大字須ケ谷は消滅。
- 1988年(昭和63年) - 上平東部土地改良区により土地改良事業(圃場整備)が同年度までに実施される[23](1974年1月28日認可・埼玉県告示第536号)。地内に「上平東部土地改良区 竣工記念碑」の石碑[1]が同年10月に設置される。
- 2009年(平成21年)12月16日 - 「須ケ谷の大山灯籠行事」が市の登録文化財(無形民俗文化財)に指定される[24]。
存在していた小字
編集世帯数と人口
編集2019年(平成31年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
大字・町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
菅谷一丁目 | 117世帯 | 278人 |
菅谷二丁目 | 49世帯 | 118人 |
菅谷三丁目 | 19世帯 | 34人 |
計 | 185世帯 | 430人 |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[26]。
大字・町丁 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
須ヶ谷一丁目 | 全域 | 上尾市立上平北小学校 | 上尾市立上平中学校 |
須ヶ谷二丁目 | 全域 | ||
須ヶ谷三丁目 | 全域 |
交通
編集地区内に鉄道は敷設されていない。最寄り駅は埼玉新都市交通ニューシャトル羽貫駅である。
道路
編集- 埼玉県道5号さいたま菖蒲線
- 埼玉県道87号上尾久喜線(べにばな通り) - 埼玉県道323号上尾環状線と重複
- 埼玉県道311号蓮田鴻巣線
バス
編集上尾駅から羽貫駅方面への路線バスが運行されている。以前は2010年2月11日から2012年4月1日まで、北上尾駅から伊奈学園までを結ぶけんちゃんバスも運行されていた。
- 朝日自動車菖蒲営業所[27]。
- 地区内は「須ヶ谷庚申前」、「六道」バス停留所が設置されている。
- 上尾市コミュニティバス「ぐるっとくん」[28]
- 上平菅谷北上尾線
- 地区内は「須ケ谷一丁目」、「須ケ谷一丁目」、「須ケ谷二丁目」、」、「須ケ谷集落センター」、「須ケ谷三丁目」「上組公民館」「菅谷六丁目北」バス停留所が設置されている。
- 伊奈町内循環バス「いなまる」[29]
- 北循環線
- 地区内は「寿一丁目」、「寿五丁目」、「中萩住宅前」バス停留所が設置されている。
地域
編集町内会
編集祭事
編集- 須ケ谷の大山灯籠行事 - 市登録無形民俗文化財[24]
施設
編集地内に街区公園や指定緊急避難場所は存在しない[31]。須ケ谷1丁目240に所在する商業施設とグループホームやいくつかの医院を除き、目立った施設は地内に存在しない。
- 須ケ谷集落センター
- 大六天神社 - 市登録無形民俗文化財の「須ケ谷の大山灯籠行事」が行なわれる[24]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ “統計あげお 平成31年・令和元年版 第1章 土地・気象”. 上尾市役所. p. 2 (2020年6月1日). 2020年6月7日閲覧。
- ^ a b “町丁大字別人口表”. 上尾市役所 (2019年2月4日). 2019年3月19日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年3月19日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年3月18日閲覧。
- ^ “単位料金区域別市外局番等一覧表”. NTT東日本. 2020年6月2日閲覧。
- ^ “住居表示に関する届け出”. 上尾市役所 (2017年12月28日). 2019年3月18日閲覧。
- ^ a b c d e f 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』487-493頁。
- ^ a b 都市計画図がご覧になれます。 - 上尾市役所(2014年9月5日).2019年3月19日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』927頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』498-499頁。
- ^ a b c 新編武蔵風土記稿 須ヶ谷村.
- ^ 東京市『東京市史稿. 市街篇第六附錄』東京市、1928年、86-87頁 。
- ^ a b 『上尾百年史』 250-254頁。
- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』489頁では1624年(寛永元年)岩槻藩阿部氏領とした。1630年(寛永7年)の検地帳によると「岩付領東谷村」と記されている。
- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』25頁。
- ^ 『上尾百年史』 25頁。
- ^ 『上尾百年史』 26-30頁。
- ^ 『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』117-123頁。
- ^ 『上尾百年史』 98-116頁。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』1421頁。
- ^ 『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』 557-558頁。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』増補5頁。
- ^ “第1章 上尾市の農業の成り立ち(あげおの農業(統計・概要))” (PDF). 上尾市役所 (2017年10月4日). 2021年12月9日閲覧。
- ^ a b c “須ケ谷の大山灯籠行事”. 上尾市教育委員会 (2016年3月9日). 2020年6月7日閲覧。
- ^ 『『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』』1389頁。
- ^ “市内小・中学校通学区一覧”. 上尾市役所 (2018年4月1日). 2019年2月19日閲覧。
- ^ 菖蒲営業所管内路線図 (PDF) - 朝日自動車(平成29年7月31日).2019年3月19日閲覧
- ^ ぐるっとくん 上尾市内循環バスROAD案内マップ (PDF) - 上尾市役所.2020年6月22日閲覧。
- ^ 伊奈町内循環バスいなまるルート図 (PDF) - 伊奈町役場(2019年11月2日).2020年6月22日閲覧。
- ^ “自治会・町内会・区会に加入しましょう”. 上尾市役所 (2021年3月15日). 2022年5月17日閲覧。
- ^ “指定緊急避難場所・指定避難所・福祉避難所”. 上尾市役所 (2022年2月14日). 2022年5月17日閲覧。
参考文献
編集- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第五巻 資料編5、近代・現代2』上尾市役所、1998年3月31日。
- 上尾市教育委員会・編『上尾市史 第八巻 別編1、地誌』上尾市役所、1997年3月31日、431-484頁。
- 上尾百年史編集委員会・編『上尾百年史』上尾市役所、1972年2月10日。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日。ISBN 4040011104。
- 「須ヶ谷村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ147足立郡ノ13、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763999/57。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
編集外部リンク
編集- あげおガイド アピマップ - 上尾市役所