青山 俊春(あおやま としはる)は、江戸時代中期の大名丹波国亀山藩の第2代藩主。官位従五位下因幡守。青山家宗家14代。

 
青山俊春
時代 江戸時代中期
生誕 元禄13年(1700年
死没 享保15年7月18日1730年8月31日
戒名 栄岳紹適玉雲斎
墓所 東京都品川区北品川東海寺
官位 従五位下下野守因幡守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
丹波国亀山藩
氏族 青山氏
父母 父:青山忠重、母:上田氏
兄弟 俊春伊達村豊正室、青山貞信室、九鬼隆直正室
養子:忠朝
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略歴

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元禄13年(1700年)、初代藩主・青山忠重の四男として誕生した。俊春の3人の兄が全て早世した後、忠重は弟の忠貴を養子にしていたが、忠貴が正徳3年(1713年)に死去したため、正徳4年(1714年)9月1日に父から世子に指名され、12月に従五位下・下野守に叙位・任官する。享保7年(1722年)6月18日、父の隠居により家督を継ぎ、6月21日に因幡守に遷任する。

享保15年(1730年)7月18日に死去した。享年31。跡を養子の忠朝が継いだ。

系譜

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