霊公(れいこう、? - 紀元前415年)は、の第20代公。昭子の子で懐公の孫。

霊公
第20代公
王朝
在位期間 前424年 - 前415年
都城 雍城
諡号 霊公
生年 不詳
没年 霊公10年(前415年
昭子
陵墓 丘里(悼公陵西)

生涯

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太子である父の昭子が亡くなったため、代わって太子となる。

懐公4年(紀元前425年)、祖父の懐公が大臣らに攻められて自殺したため、大臣らは霊公を立てて秦公とした。

霊公6年(紀元前419年)、少梁に城を築いたので、秦はこれを攻撃した。

霊公10年(紀元前415年)、秦は籍姑(せきこ)[1]に城を築いた。この年、霊公が薨去したが、子の献公は立つことができず、霊公の季父(末の叔父)である悼子が立って秦公(簡公)となった。

脚注

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参考資料

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  • 史記』(秦本紀第五)