簡公(かんこう)は、秦の第21代公。懐公の子であり昭子の弟。
霊公10年(紀元前415年)、霊公が薨去したが、子の献公は立つことができず、霊公の季父(末の叔父)である悼子が立って秦公(以降は簡公と表記)となった。
簡公6年(紀元前409年)、令を下し、初めて役人に剣を帯びさせた。また、洛水に溝を掘って重泉[1]に長城を築いた。
簡公15年(紀元前400年)、薨去し、子の恵公が立って秦公となった。