雲際寺

岩手県奥州市衣川張山にある曹洞宗の寺院

雲際寺(うんさいじ)は、岩手県奥州市衣川張山にある曹洞宗寺院山号は妙好山。源義経とその北ノ方(正妻)の位牌が安置されていた寺として知られる。

雲際寺うんさいじ

2008年6月当時の本堂
所在地 岩手県奥州市衣川張山63
位置 北緯39度1分43.8秒 東経141度5分1.5秒 / 北緯39.028833度 東経141.083750度 / 39.028833; 141.083750座標: 北緯39度1分43.8秒 東経141度5分1.5秒 / 北緯39.028833度 東経141.083750度 / 39.028833; 141.083750
山号 妙好山(みょうこうざん)
宗旨 曹洞宗禅宗) ← 天台宗
本尊 不動明王
開山 嘉祥3年(850年
開基 慈覚大師
中興年 文治3年(1187年
中興 源義経正室(郷御前
正式名 妙好山雲際禅寺
別称 牛局山梅際寺
法人番号 2400605000435 ウィキデータを編集
雲際寺の位置(岩手県内)
雲際寺
雲際寺
雲際寺 (岩手県)
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沿革

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寺伝によれば、当初は天台宗で牛局(ごぎょく)山・梅際寺(ばいさいじ)といい、嘉祥3年(850年) 、慈覚大師開基と伝えられる中尊寺の別院であったが、その後廃頽した。

文治2年(1186年)10月、源義経が妻子と従者を伴って平泉へ落ち延びてきた際、同行していた天台宗の高僧の一人、民部卿禅師頼然をこの地にとどめ、文治3年(1187年)、義経の北ノ方の帰依により、頼然を中興開山として再建された。文治5年(1189年)閏4月30日、藤原泰衡の軍勢に襲撃を受けた義経が衣川館で妻子と共に自害した後、遺体が寺に運び込まれたとされ、頼然によって義経と北ノ方の位牌が安置された。

文明5年(1473年)に曹洞宗に改宗。戦乱の中廃頽した時代もあったが、江戸時代蘆名氏の庇護によって再建された。

平成20年(2008年)8月6日、火災によって本堂と位牌堂、住宅部分を全焼し、本尊の不動明王や義経夫妻の位牌も焼失した。平成22年(2010年)7月、本堂の再建が行われた。

関連項目

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外部リンク

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