阿部秀逸
阿部 秀逸(あべ しゅういつ、1868年5月15日(明治元年4月23日[1]) - 1935年(昭和10年)4月29日[2])は、明治から昭和時代初期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。旧姓・小林。
経歴
編集小林庄之助の長男としてのちの宮城県に生まれ、先代阿部たかの養子となり1906年(明治39年)家督を相続する[3]。宮城師範学校を経て、明治法律学校を卒業し、1882年(明治15年)小学校訓導となる[2]。ついで中津山村会議員、桃生郡会議員、仙台米穀取引所理事長、小牛田倉庫社長、宮城商業銀行取締役、仙台平機業監査役、宮城県信用組合理事[2]、石巻製氷社長[1]、石巻共同運輸、石巻運輸造船、東北製凾各取締役、仙台染織製綿監査役などを歴任した[3]。
1923年(大正12年)宮城県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年12月6日[4][5]から1925年(大正14年)9月28日まで在任した[2]。在任中は交友倶楽部に所属した[2]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。