阿部正識
阿部 正識(あべ まさつね)は、江戸時代中期の武蔵忍藩主。忠秋系阿部家7代。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 明和元年11月28日(1764年12月20日) |
死没 | 享和3年2月7日(1803年3月29日) |
別名 | 虎次郎、兵庫 |
諡号 | 鳳楼 |
墓所 | 多磨霊園 |
官位 | 従五位下美作守・豊後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 武蔵国忍藩 |
氏族 | 阿部氏 |
父母 | 父:阿部正敏、母:河合氏(正敏の側室) |
兄弟 | 正陳、正識、正良、娘(戸田光悌正室)、娘(森俊韶正室)、娘(内藤正興正室)、娘(阿部正識養女、阿部正由正室) |
妻 | なし、婚約者:阿部正倫の娘 |
子 |
娘(阿部正由の養女亀井茲尚正室)、 養嗣子:正由、養女:娘(阿部正敏養女、阿部正由正室) |
明和元年(1764年)11月28日、阿部正敏の長男として生まれる。天明2年(1782年)12月18日に将軍徳川家治に初めて御目見し、従五位下美作守に叙任された。当初、父正敏は養嗣子の正陳を世継ぎとしていた。しかし、正陳が早世してしまったので正識が嫡子となった。天明7年(1787年)5月26日、家督を相続する。同年6月15日、豊後守に改任。しかし病弱だったため、幕府の役職に就くこともなく、寛政8年(1796年)2月21日、33歳で隠居し、紀州藩から養子・正由を迎えた。
系譜
編集父母
- 阿部正敏(父)
- 河合氏 ー 側室(母)
婚約者
- 阿部正倫の娘
子女
養子
参考文献
編集- 工藤寛正編『江戸時代全大名家事典』東京堂出版、2008年。
- 続群書類従完成会『新訂寛政重修諸家譜』第十、八木書店、1969年。