阿部昭 (歴史学者)

日本の歴史学者 (1943-2021)

阿部 昭(あべ あきら、1943年昭和18年〉5月1日[1] - 2021年令和3年〉11月16日[1])は、日本近世史研究者[2]

阿部 昭
人物情報
生誕 須永 昭
(1943-05-01) 1943年5月1日
日本の旗 日本栃木県足利市
死没 (2021-11-16) 2021年11月16日(78歳没)
居住 日本の旗 日本栃木県宇都宮市上小池町
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京教育大学文学部史学科日本史学専攻
学問
活動地域 栃木県
研究分野 日本近世史
研究機関 国士舘大学(1987年 - 2013年)
学位 学士(文学)
主な業績 近世村落
二宮尊徳研究
主要な作品 『近世村落の構造と農家経営』
『栃木県史』近世史料編及び通史編(共著)
学会 栃木県歴史文化研究会
主な受賞歴 栃木県文化功労者(2016年)
旭日双光章(2019年)
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来歴

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1943年栃木県足利市に生まれる[1]1966年[2]東京教育大学文学部史学科日本史学専攻を卒業後、黒磯高等学校宇都宮女子高等学校で県立高等学校教諭を務める[3]栃木県立文書館wikidata1986年設立に際しては、指導主事として[4]尽力し、1987年4月に国士舘大学文学部国史学専攻助教授に就任した[3]

1992年4月[2]に同学の教授に就任し、学部長(2000年4月 - 2004年4月[5])、2004年[6]からは法人常任理事を歴任したが、2013年3月をもって法人理事および教授職から退いた[3]

このほか、栃木県文化財保護審議会委員(1990年7月 - 2014年3月[1])、宇都宮市文化財保護審議会委員(1994年7月 - 2016年9月、うち2011年4月以降は同委員長[1])や国指定史跡整備指導委員会委員などの公職を務め、大学を退職してからも後に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症するまで栃木県の文化・教育振興に携わり続けた[3]

2021年11月16日に病気のため死去[7][8]。78歳没。戒名は顕学院福聚昭徳清浄大居士[1]

著書

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単著

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共著

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  • 『栃木県史 通史編4』(栃木県、1981年)
  • 『栃木県史 通史編5』(栃木県、1984年)
  • 『藤原町史 通史編』(藤原町、1983年)
  • 『真岡市史 通史編近世』(真岡市、1988年)

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論文

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  • 「農村荒廃下における村方地主の存在形態」(『栃木県史研究』第10号所収、県史編纂委員会、1975年)
  • 「近世における鬼怒川上流域の筏流し」(『徳川林政史研究所紀要 昭和60年度』所収、財団法人徳川黎明会、1986年)
  • 「遊び日の編成と共同体機能」(津田秀夫編『近世国家と明治維新』所収、三省堂、1989年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f 新井敦史「岳父阿部昭のこと」『歴史と文化』通巻第31号、随想舎、2022年7月、6-9頁、国立国会図書館書誌ID:032314017 
  2. ^ a b c 阿部 昭”. researchmap (2013年4月2日). 2017年8月23日閲覧。
  3. ^ a b c d 佐々博雄「阿部昭教授と国士舘」『国士舘史学』第18号、国士舘大学日本史学会、2014年3月、1-7頁、CRID 1520290883172183168 
  4. ^ 阿部昭, 笠谷和比古, 浅井潤子, 大藤修, 森安彦, 廣瀬睦「史料館報 第46号」1987年3月。「県史編さんと県立文書館 農民史料の名称付与について 史料所在調査報告 『大塩平八郎一件書留』の刊行 昭和六一年度新収史料紹介 全史料協第一二回大会参加記 受贈図書」 
  5. ^ 文学部の歴史”. 国士舘大学. 2017年8月23日閲覧。
  6. ^ 2012年度 事業報告書”. 学校法人国士舘. p. 7. 2017年8月23日閲覧。
  7. ^ 阿部名誉教授 逝去」『国士舘大学新聞』2022年1月25日。
  8. ^ 追悼 阿部昭先生」『国士舘史研究年報 楓原』第43巻第13号、学校法人国士舘、2022年3月、146頁。 

関連項目

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外部リンク

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