関忠亮
日本の声楽家
関 忠亮(せき ただあきら[1]、1915年2月8日[1] - 1994年)は、日本の声楽家(バス歌手)、作曲家。二期会会員[2]。
関 忠亮 せき ただあきら | |
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生誕 | 1915年2月8日 |
出身地 | 日本 東京府[1] |
死没 | 1994年 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 声楽家・作曲家 |
経歴
編集親族
編集作品
編集- 江森盛弥作詞、関忠亮作曲「晴れた五月」(1945年12月)- メーデー歌
- ぬやまひろし作詞、関忠亮作曲「若者よ」(1948年)
- 壺井繁治作詞、関忠亮作曲「玉野市歌」(1950年8月3日制定)[3]
- 門倉訣作詞、関忠亮作曲「桑ばたけ」(1956年)- 砂川闘争から生まれた歌
- レフ・オシャーニン作詞、関忠亮日本語訳詞、アレクサンドラ・パフムートワ作曲「心さわぐ青春の歌」(1958年)
- 映画『ドレイ工場』(1968年)の音楽[4]
- ロイド・ストーン作詞(原題「This is my song」)、関忠亮訳詞、ジャン・シベリウス作曲「フィンランディア讃歌」
出典
編集参考文献
編集- 『音楽年鑑』昭和45年版(音楽之友社、1970年) NCID BN0029282X