長野 準四郎(ながの じゅんしろう、1869年4月19日(明治2年3月8日[1]) - 没年不詳[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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京都府出身[1][2][3]。長野九郎の二男として生まれる[2]。1890年(明治23年)7月、陸軍士官学校(1期)を卒業、ちなみに 1890年(明治23年)7月29日の官報によると、陸軍士官学校第1期砲兵科5番/19名で卒業している。翌年3月、砲兵少尉に任官し野砲兵第4連隊付となる[1][4][5][6]

1893年(明治26年)11月、砲兵中尉、1896年(明治29年)11月、砲兵大尉、1903年(明治36年)5月、砲兵少佐、1907年(明治40年)11月、砲兵中佐に昇進し、1911年(明治44年)8月、大阪火砲製造所長に就任[3][4]。同年11月、砲兵大佐に進んだ[3][4]

1917年(大正6年)8月、陸軍少将に昇進[3]。1921年(大正10年)6月、東京湾要塞司令官に転じ、1921年(大正10年)7月、陸軍中将に進んだ[1][3]。1922年(大正11年)8月、陸軍科学研究所長に就任し、1923年(大正12年)8月に待命となり、同年9月1日、予備役に編入された[1][3]

栄典

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勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『日本陸軍将官辞典』523頁。
  2. ^ a b 『人事興信録 第6版』な102頁。
  3. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』94頁。
  4. ^ a b c 『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 明治45年7月1日調』821頁。
  5. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』91、94頁。
  6. ^ 『官報』第2319号、明治24年3月27日。
  7. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 陸軍省編『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 明治45年7月1日調』川流堂、1912年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。