長野幹
日本の内務官僚、実業家
長野 幹(ながの みき / かん[1]、1877年1月 - 1963年1月)は、日本の内務官僚、実業家。官選県知事。旧姓・大木[1]。
略歴
編集元福井藩士・教師である三寺三作(後に大木本彌に改名)の息子として生れ、長野家の養子となる[1]。1903年7月に東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業[1]。同年11月、高等文官試験行政科に合格。内務省に入省。東京府属[2]。
1911年には、ドイツで開かれた万国衛生博覧会に参加。欧米各国を視察した。その後、1916年に三重県知事に任命され、その後、山梨県知事、朝鮮総督府学務局長、秋田県知事、鹿児島県知事などを歴任。1927年5月17日に鹿児島県知事を休職となり[3]、以後民間で会社経営などにあたった。
栄典
編集脚注
編集参考文献
編集- 『日本の歴代知事 第1巻』歴代知事編纂会、1980年。
- 『日本の歴代知事 第2巻 上』歴代知事編纂会、1981年。
- 秦郁彦『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
- 『山梨百科事典』増補改訂版、山梨日日新聞社、1989年。