長谷川 直則(はせがわ なおのり、1833年6月22日天保4年5月5日[1]) - 1896年明治29年)5月4日[2])は、幕末から明治時代の政治家実業家銀行家貴族院多額納税者議員

経歴

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豪商・佐藤伊兵衛の四男として出羽国村山郡天童(山形県東村山郡天童町を経て現天童市)に生まれ、のち長谷川吉内の養子となる[1]山形藩秋元家に仕えたのち、実業界に入り、1888年(明治21年)7月には第八十一国立銀行頭取に就任した[1]。ついで翌年5月、山形市会議員に当選し、所得税調査委員、山形興業幹事を経て[3]1890年(明治23年)山形県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[4]から1895年(明治28年)12月7日[5]まで在任した[2]

ほか山形県為換方[2]、山形病院設立委員、山形鉄道、山形電灯各発起人などを務めた[3]

脚注

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  1. ^ a b c 諏方 1891, 11頁.
  2. ^ a b c 衆議院、参議院 編 1960, 208頁.
  3. ^ a b 諏方 1891, 12頁.
  4. ^ 『官報』第2179号、明治23年10月2日。
  5. ^ 『官報』第3736号、明治28年12月10日。

参考文献

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