長谷川濬
生涯
編集父・清(後に淑夫に改名)と母・ユキの三男として函館に生まれる。1925年函館中学を卒業すると、兄海太郎の勧めもあって4年の間漁船に乗った。その後大阪外国語学校露語科を卒業し満州国に渡る。官吏を経て1932年、満洲映画協会に入った。この頃ニコライ・バイコフ[1]の「偉大なる王」[2]を翻訳。終戦時に満州映画協会理事長の甘粕正彦の自殺場面を目撃した。戦後は通訳などの仕事をしながら同人誌に創作・詩・エッセイなどを投稿した。晩年は、神彰などともにドン・コサック合唱団を招いた。
家族
編集関連書籍
編集脚注
編集参考文献
編集- 朝日新聞朝刊『読書 満州浪漫 長谷川濬が見た夢』2012年11月11日(15面)