長原前駅(ながらまええき[1])は、愛知県北設楽郡設楽町清崎にかつて存在した豊橋鉄道田口線(旧・田口鉄道)の。北設楽郡田口町(1956年以降設楽町)にあった駅の一つである。

長原前駅
ながらまえ
Nagaramae
田峰 (1.6 km)
(1.1 km) 清崎
地図
所在地 愛知県北設楽郡設楽町清崎
北緯35度3分51.8秒 東経137度32分29.4秒 / 北緯35.064389度 東経137.541500度 / 35.064389; 137.541500座標: 北緯35度3分51.8秒 東経137度32分29.4秒 / 北緯35.064389度 東経137.541500度 / 35.064389; 137.541500
所属事業者 豊橋鉄道
所属路線 田口線
キロ程 17.0 km(本長篠起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員
-統計年度-
53人/日(降車客含まず)
-1957年度-
開業年月日 1950年昭和25年)10月1日
廃止年月日 1968年(昭和43年)9月1日
備考 無人駅
特記のないデータは廃止時
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1977年の長原前駅跡とその周囲。赤で囲った場所に駅があった。赤い線は田口線の廃線跡。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

歴史

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長原前駅は1950年昭和25年)10月1日、田口鉄道により開設された[1][2]

田口鉄道は、現在のJR飯田線本長篠駅北設楽郡設楽町を結んだ鉄道である。駅の開業と路線の開通の時期には大きな開きがあり、駅をはさむ三河海老駅から清崎駅までの区間が同鉄道の第二期線として開通したのは駅設置より20年も前の1930年(昭和5年)のことである[3]

駅が置かれたのは豊川(寒狭川)左岸の設楽町清崎であるが、駅名にある「長原」はその対岸の田峯にある地名(設楽町田峯字長原)である。駅近くの清崎字釜渕には町立清嶺中学校(1949年創立、2001年廃校)があった[4]

1956年(昭和31年)10月1日、田口鉄道が豊橋鉄道に合併されたため豊橋鉄道田口線の駅となる。それから8年後の1964年(昭和39年)、豊橋鉄道は赤字の拡大を理由に田口線の廃止を決定[5]。路線の廃止は1968年(昭和43年)9月1日[1]であったが、その直前の8月29日台風台風10号)で被災して田峰・清崎間が線路破壊により不通となり、三河海老駅から先の区間は運転していなかった[6]

構造

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片面ホーム1面1線で列車の行き違いが不可能な駅であった[7][2]駅員は配置されていない(無人駅[8]

利用状況

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1957年度の乗車人員は1万9千人(1日平均53人)で、そのうち約4割にあたる7千人が定期乗車券での利用客であった。この乗車人員は田口線の全11駅中で三河大草駅に次いで少ない。一方、貨物の取り扱いはない[9]

隣の駅

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豊橋鉄道
田口線
田峰駅 - 長原前駅 - 清崎駅

脚注

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  1. ^ a b c 『日本鉄道旅行地図帳』7号、pp37-38
  2. ^ a b 『鳳来町誌』田口鉄道史編、p64
  3. ^ 『鳳来町誌』田口鉄道史編、pp58-59
  4. ^ 『設楽町誌』教育・文化編、p80,130
  5. ^ 『鳳来町誌』田口鉄道史編、pp161-162
  6. ^ 『鳳来町誌』田口鉄道史編、p186
  7. ^ 白井良和「奥三河に咲いたローカル線 田口線の回想」『鉄道ピクトリアル』第461号、鉄道図書刊行会、1986年3月、59頁。 
  8. ^ 『図録』、p8
  9. ^ 『愛知県統計年鑑』昭和34年版、p386

参考文献

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  • 愛知県『愛知県統計年鑑』 第8回 昭和34年版、愛知県、1959年。 
  • 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 7号(東海)、新潮社、2008年。ISBN 978-4-10-790025-8 
  • 『したらの文化財 図録・田口線と用具』設楽町教育委員会、1996年。 
  • 設楽町『設楽町誌』 教育・文化編、設楽町、2004年。 
  • 飛田紀男『鳳来町誌』 田口鉄道史編、鳳来町教育委員会、1996年。 

関連項目

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